「NEXUS」

ハラリさん、「NEXUS」を読ませていただきました。
共同主観的現実の視点を用いて情報というものを分析しようとされているのですね。

ご存じないかもしれませんが、ここのメモは 医学 科学 ジョーク を主に扱っています。そしてどの視点で切っても、薄っぺらい内容であることはきっとあなたも認めることでしょう。

しかし、万が一なんらかのきっかけでそれとは反対に、実のある内容を語るサイトだと世に広まっていくようなことがあれば、それを共同主観的現実というのだろうと理解しましが、これで当っていますでしょうか。

人々は科学が進歩すれば真実を見極めることが容易になり、院長室が読むに値するサイトだなんて広まることは絶対に起こらないと多くは考えるわけですが、ところがそうではないのですね。

魔女狩りの話は圧巻でした。どうして魔女を狩るように人々が仕向けられたのか、
そこには印刷技術という大きな情報革命があったことで、信じられないような愚かな話が広がっていき、やがて共同主観的現実が形成されていったということだったと思います。そしてそれはQアノンのような一つの共同主観的現実にもつながっているから、決して過去の話ではないのですね。

上巻でそうした歴史的な共同主観的現実をなぞり、下巻では将来の情報の在り方、とりわけAIが登場している今、そのありうる形態を予測し、危険をはらむような事態に陥る可能性があれば警鐘を鳴らすべきだという意見には心から傾聴に値すると思います。

難解な内容を分かりやすい比喩をもって説明していただいているのですが、ハラリさんははとてつもなく知識が豊富で、話が多岐かつ詳細にわたるため、なかなか読み応えのあるものだったようにも感じました。

ところで、”万が一院長室が、実のある内容を語るサイトだと世に広まっていくようなことがあれば”、といういうな発想を強度主観的現実とでも名づけることを提案したいのですが、いいかがでしょうか。

あ、妄想という言い方でも結構です。