自己認識

昔から将来設計は立てられる方だ。たとえば翌日の午前中ぐらいまでは予定を組むことができる。
嘘だと思えば昨日のゾウのメモを見て欲しい。「ゾウとする話だ」などとベタなダジャレのために紹介したわけではないのだ。

実は自己認識についてのメモを紹介したかったのだ。ほとんど自己というものを失っている-たとえば西にかぜ薬が欲しいという患者がいれば行ってPL顆粒を処方し、東に湿布が欲しいという患者がいればモーラステープを出す、ソンナイシャニワタシハナリタクナカッターもののメモだからスルーされる可能性も昨日の午後ぐらいから考えていた。
だが、今日のメモは違う。びっくりするような内容で正直どういう反応が返ってくるのか分からない。もしかして2日後にNHKで放送されるかもしれず、初めて将来設計がたたない事例だ。

なんとサカナが自分を認識しているというのだ。さかなくんみたいに、うおー、とか、ぎょぎょーとかいうつもりはない。そんな大げさな洒落などこれっぽちも頭にはなく、心静かに、まっサカナなぁ、というのが正直な心境だ。

では、なぜサカナが自己認識していることが分かったか、そこで登場するのが鏡だ。
まず鏡を使った研究の「ゾウ」メモのポイントを紹介する。

「一頭の頭の一方に画像のような×の見えるマークをつけ、反対側に同じ臭いと感触の、見えないマークをつけてみたところ、見えないマークは無視し、見える×ばかりを一生懸命鏡に映し鼻で触っていた」

色気づいたニキビ面のころを思い出す。こんなオヤジになるまえの若ゾウは鏡を見てはなげき吹き出物を触っていた。だからゾウの気持ちはよく分かる。それと似たような行動を鏡の前でサカナがするというのだ。

外側についた寄生虫を「掃除する」という行動で知られている海水魚であるクリーナーラッセを使っての実験だ。鏡反射でしか見られないサカナの”皮膚”にマークをつけると、サカナが鏡で自分を見た後、硬いものに自分の体をこりつけてマークを除去しようとしたことが観察された。透明なマークをつけたときや、鏡がないときはそんな行動はなかったいう。

それって自己認識の表現なの?って疑義を挟む研究者もいるようだが、たとえそうであっても読んでいて重要なことに気づいた。ゾウはおろかサカナでさえ自身を考えている可能性があるのなら、ヒトであるこのオヤジもいまいちど自分を見つめなす必要があるのではないか。

鏡を見ながらしばらく考えた。こんなくだらないメモをして、きっとミンナからデクノボーとよばれているのだろう。こんなメモをしていてもきっとホメラレないだろう。だがそれでもいい。わたしはわたしでいいのだ。サウイフモノニ ワタシハナリタイ、

って1時間前にメモし始めたときはこんな展開になるとは思ってなく、1時間後の将来設計も立てられない自分に驚くばかりであった。

Fish Appear to Recognize Themselves in the Mirror