法則

 ムーアの法則というのが最近、科学ニュースでよく取り上げられている。1960年代半ばに提唱された「半導体の集積密度は18~24ヶ月で倍増する」という法則で、それに従えば、大雑把にいうとパソコンの処理能力が2年毎で倍々になっていくというわけなんだけど(ここの図参照)、でも集積回路の物理的な限界があるから、もうそろそろこの法則が壁にぶち当たることになるかもって、最近、騒がれているのね。
 まぁその内容はさておき、今日のメモはこの法則という呼び方について。


 思うに英語圏の人、よくいろんな場面で法則という言葉を使うような気がする。たとえば、昔流行った「マーフィの法則」。お遊びだとは分かっていても、なんとなく呼び方に違和感を持ち続けていた。だって法則だったら、物理なんかで出てくる法則のように、必ず結果がはっきりと見えないといけないような気がしてて。
 このムーアの法則も、もちろん半導体自体は自然科学の問題なんだけど、その能力の推移という、どちらかというと社会科学系の問題を扱ってるわけでして、”法則”って呼ぶのは、似つかわしくないなぁって感じるのはボクだけなのかしら。
もちろん予測可能な経験則は、なにか冠をつけて呼ばれて然るべきだとは思うけど、せめてムーアの予測ぐらいで手を打って欲しいなぁ。
 そもそも「法則」って英語が、「Law」という単語になること自体、なんだか不思議なんだよね。Lawって法律って意味があるでしょ。
 英語圏の人が使う「法則」という言葉には、経験則というか、自然の摂理というよりは人の手が加えられている規則という感覚の方が強いのかしらね。
院長  「ボクも院長の法則ってやつを見つけたんだけど」
スタッフ「どんなのですか」
院長  「お酒を飲んだ翌日は、半身がしびれるってやつ」
スタッフ「それって院長の法則というより…」
院長  「院長のホウソクというより」
スタッフ「院長、のゥコウソクじゃないですか」
院長  「院長、脳梗塞……かねぇ。やっぱり」

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