必要十分条件

家族そろって知人のマンションに行ったときのこと。セキュリティの高そうな住まいで、建物内にある駐車場からロビーに入るのにカギを使って入る。エレベータで上がり、その同じカギで知人が住居のドアを開けたとき、双子のひとりがこう言葉を発した。
「ほかの人が持っているカギでも、どの部屋でも入れるんだね」

ほかの人も駐車場のカギを持っている、知人はそのカギで部屋のドアを開けた、だからほかに駐車場のカギを持っている人は、どの部屋のカギも開けられるのではないか、という疑問だ。
いい質問だ。きっと池上さんも賛成してくれるだろう。というのはやがて中学数学で苦しめられる論理の話に結び付くからだ。
その論理とは「必要十分条件」。ほんとにこんなこと必要なんですか、もう充分じゃないですか、と数学の先生にお願いしても執拗にいじめられることになるだろう。

いいかい、どの部屋のカギでも駐車場のドアが開く、でも駐車場のカギであればどの部屋のドアでも開くとは限らないのだ。

トランプさんが出てきてから、いったい何がファクトなのか分からなくなるときも多いが、論理の世界では真実は真実。どの部屋のカギでも駐車場のドアが開くならば、どの部屋のカギでも駐車場のドアを開くというのは真実なのだ。
この『AならばBである』が真実のとき、Aを十分条件、Bを必要条件、というんだ。どの部屋のカギでありさえすればそれだけで十分で必ず駐車場のドアを開けることができる。また部屋のカギであるためには、駐車場のカギである必要がある、ということ。

そういう条件なのだが、逆のことについてはなにも語られていない。逆とは『BならばAである』こと、つまり駐車場のカギであれば、どの部屋のドアも開けられるということはなにもいっていないのだ。

そのカギで部屋のドアを開けることができるのか、その条件が語られていない、そのカギでほかの住居人の室内に入ることができるのか、つまりはカギの室用条件が足りないのだ。

(って、このメモで合ってるのかなぁ。一度知人のカギを借りてよそ様のドアのカギ穴にそっと入れてみるのも、アリかもしれないなぁ)