希望

ジェーン・グドールさま。

「希望の教室」(海と月社)を読ませていただきました。
正直、何十年も前に、ナショナルジオグラフィックでチンパンジーと並んでいるあなたの写真程度のことしか知りませんでした。

チンパンジーでさえもっとあなたのことを知っているだろうに、院長はチンパンジー以下ですね。

ただこの本のテーマ、「希望」は院長にとってはちょっと重過ぎました。おかげでここ数日腰痛が悪化しています。

暴力、貧困、差別などの場で考えられるとてつもないヒトの罪と災難を見聞きし、本当に世界中のいろんな場所でその解決に向けて小さな一歩を開始し、それを大きく育ていくつも成功させておられるあなたを心から尊敬します。

小さな努力は世の中の暴政や大きな横暴に対し無力ではないかという質問にあなたはこう応えましたね。
「実際に大海をつくっているのは無数の水滴よ」と。

正直、院長のなかで、この点がとても重いのです。
本当に小さな力が集まれば、しぶきを上げる海の大きなうねりとなるのでしょうか。
ヒトは本当に希望を持ち続けることができるのでしょうか。持ち続けていいのでしょうか。

きっと時間的にも空間的にもあなたとは”希望”のとらえ方が違うのではないかと感じています。

院長の”希望”は今晩のビールとか、あしたの天気などといった、チンパンジーに言葉があれば語れるような程度のものでしかありません。

ただウンダの話は知りませんでした。
瀕死のチンパンジー、ウンダを保護したあと、自然に戻すときにとったウンダのあなたへの抱擁を見ていると、ぼんやりとですが、あなたの”希望”が分かるよう気がしてきました。

そしてなんどもなんども見ているうちに、同類のウンダに嫉妬を抱きながらこう思い始めています。

きっとあなたは正しいのだろうと。