ミーム

ドーキンスさんの書籍は読んでいてよく理解できないところも多々あるのだが、それを差し引いても科学に対する高揚感があおられることが魅力なのだろう、「利己的な遺伝子」以来彼のファンである。だが、この「利己的な遺伝子」のなかでどうしても腑に落ちない点があった。
ミームという概念だ。


文化が遺伝するだって? 奇妙な表現ではないか、いくら考えてもそんなものは遺伝なんかするはずはない、いくらなんでもドーキンスさんの勇み足だろう。そんな風にとらえていたのだ。でも彼の「悪魔に仕える牧師」と「自伝」を読み終えて考えを改めた。
これは自己複製するシステムの一例なのだ、と。自己複製する典型としてはDNAがあるのだが、相対性理論などと同様、そのシステムは宇宙の一般的法則として存在するということをドーキンスさんはいっているのだ。(ついでにいうと、だからこそ彼の本はそれを見いだしたダーウィンへの限りない敬愛と尊敬の念で満たされているのだと思う)そしてとりわけ文化として広まる、あるいは遺伝し進化する自己複製子をミームといっているのだ。たとえば宗教が地域や国で異なる理由は、ガラパゴス諸島の島々で別々に生息する鳥、ダーウィンフィンチの進化と同じようなものだということなのだろう。
わたしの解釈が間違っているかも知れないが、そういうものだと理解するときわめてすばらしい概念だと思えるようになった。いつか公開することになるわたしの電子カルテやレセコンのスクリプトのミームはいったいどうなるのかという思いと重なってのことだ。
スクリプトはどなたでも利用できるよう、どこかのサイトにアップするつもりだが、日を追ってアクセス数は増えダウンロードはその数を増していくのだろうか。そのときはこのミームはその生存の範囲を広げ、あるいはほかの人の手が入りさらに進化していくことになるのだろう。
はたまた逆の事態、すなわちいくら日が過ぎてもダウンロード数どころかアクセス数さえいっこうに増えないことになるのだろうか。
それが意味することは、このスクリプトというミームは生存を断ち切られ絶滅に向うということだ。
「ミームきもされない」とはまさにこのことなのだろう。こんなことをメモしていると、なんだかそっちの方向に行ってしまうような予感がする。

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