ある数学者

無限の概念が関与するゼータ関数がある。そこではこんな奇妙なことが成り立つ。

“1+2+3+4+…” = -1/12

酒の場で、ある数学者にあるこのことについて質問したことがある。
こうした式を日常的に触れ、通常の生活感覚との間に乖離はないのか、と。

整数論を専門としていた彼は、実用性などない分野と思っていたが、今や暗号理論の専門家としてNTTをはじめ大きな組織に関与していることを自分でも驚いていると語っていた。

質問をしたのは、30名ほど集まった同窓会で同窓生の彼の素数のミニ講演が終わったあと酒宴の場に移り、それぞれが立ち上がってマイク片手に近況を報告しあったときだった。

彼は、座ったまま大きな声でまじめに応えてくれようとした。たしか「君はわかっていると思う」といってくれた。すでに場には酔い気分が漂っていて、二人の”まじめな”会話を許してくれず、おちゃらけたヤジで巻き起こった笑いのなかマイクを次の人に渡しさざるを得なかった。

もちろんゼータ関数のことなどまったく理解できていないし、学生のころ彼とはほとんど接点がなく、数学がすばらしく得意なやつとの思いがあるだけだ。
それでも彼の言葉がとてもうれしかった。そしてほんとうに尋ねたかったのは、数学者としての喜びはなんなのか、それを聞きたかったのだ。

でも、もう二度と問うことはできない。彼はとてもとても遠いところに旅立ってしまった。今、数学者として無限のおもしろさを実感してくれていたらいいのだが、素人ながらそう思う。

諏訪紀幸