運河というこの題名の説明の前にちょっとした実験のメモをしてみたい。
普通のペットボトルの横に四角い穴を開ける。それをプラスチックのようなもので上が開いた形で覆う。左下の写真はそれを横から撮ったものだ。
普通のペットボトルの横に四角い穴を開ける。それをプラスチックのようなもので上が開いた形で覆う。左下の写真はそれを横から撮ったものだ。
右は穴のあたりの写真。回りをセロテープで貼り付けてある。
これに水を入れると、あら不思議、こぼれないじゃないですか。(下が濡れているのはセロテープの機密性が弱かったためで実験が失敗したわけじゃない)
ということでなぜこんなメモをしてるのか説明しよう。
パナマ運河の水門の上げ下げを早送りしたこういう映像があったのだ。
同じ海なのに高さに差があるのをあらためて不思議に感じると同時になぜかこのペットボトルのことを思い出したのだ。
今日の昼にバタバタこしらえ写真に撮り、とりあえずメモしていればなにか深い思索にたどりつくだろうという気持ちで紹介してみた。
ところがどうだ。”水”と”驚き”という二文字以外、二つの間にはなんの関係も思いつかないのだ。いくら考えてもダメだった。
ただ一つの幸いは今日のメモがこれで埋まったことだ。
どうにキャナル、というのはこういうことをいうのだろう。
実は数年前、父親がこれと同じものを作ってみせたのだ。
テレビで魚にエサをやることのできる水族館というのが紹介されていたと父親が語ったのがことの始まりだ。普通にエサをやるのではなく、水槽のガラス窓に穴が開いていて、そこから水槽のなかの魚に直接エサをやっていたという。
そんなことはないとアホ息子は反論したが父親は間違いなくそうだったと主張した。その場はお互い平行線で別れたのだが、数日して父親が自慢げに見せたのがペットボトルだったのだ。
きっと父親もどうにキャナルと作り始めたのではないかと想像する。