記憶力はいい方だ。ここ数十年使ったことのない円周率でも覚えているし、見たこともない平安京が作られた年もそらんじることができる。それなのに見知った人の名前を忘れたり、携帯を置いた場所を忘れたり、あるいはここのメモをし忘れたりするのはなぜだろう。
そう悩んでいるとヒントになる記事があった。
目に入ってくる情報をうまくフィルターにかけることで人の記憶というのはよくなるかもしれないというものだ。
オレゴン大学の研究者がパソコン上に赤と青の四角が別々に一瞬出てくる画像を被験者に見せるという実験をやってみた。頭には脳波測定器をつけて被験者が画像をみたときの脳の活動を見ている。
あるグループではなにもいわずに見せる。ほかのグループでは赤い画像に集中し青い画像は無視するように指示した。
するとなにもいわずに見せられたグループは例外なく赤と青の両方に反応したが、指示されたグループでは明らかに青を無視することができている脳波を示す人たちとそうでない人たちに分かれた。
無視することができる人たちはあらかじめ確かめていたテストでかなりの記憶力を有していたというのだ。
必要でない情報を無視する能力と記憶力は関係があるかもしれず、逆に無視する能力を鍛えることで記憶力が高まる可能性もあるとネタ元では述べられている。
なるほど。情報の価値という視点があるのか。つまり記憶力の有無はなにを覚えているかに関わっているのだ。
よく考えると人とのつきあいがあまりないものとしては、名前を覚えなくても大したことはない。携帯にかけてくるものもほとんどない。どちらも大した情報ではなかったのだ。
さらにいえば年を追うごとに必要でない情報が増えているような気がする。その意味では年々記憶力が鍛えられているわけだ。好き嫌いがないからそのうちご飯を食べたかどうかも重要な情報でなくなるだろう。
そうなっても悩む必要はない。なにせそのころには悩んでいるかどうかということさえ、重要な情報ではなくなっているはずだ。
…ってな話になるのかしらね?
わたくし院長の最後の楽語講座だけはだいたい覚えています。
今日はありませんね・・手抜き記事?
失礼な。今日は、じゃなく、今日も、でしょ。