日付とメモが連なっているだけだったが、たかだが5つか6つの文章だけでも、もうごちゃごちゃし出した気がしたので、昨日の昼からメモの部屋の模様替えをした。ホント場当たり的に画面を二つに分けて、日付など作ってと、なんじゃかんじゃやってると、なんとなくさまになってきた。HPのツウにとってはこんな配置換えなんのこともないのだろうが、初心者としては、うまくいってマジうれしい。かなり整理整頓もされているしなぁ。この模様替え、とくにカレンダー部分はなんか見てるだけで身が引き締まる。夏休みの朝のラジオ体操に出たとき、ハンコをもらったでしょ?そのときに味わったような、ある種の興奮が、このカレンダーを埋めていく作業にはあるような気がするというのは、おかしい?
心理学はまったく知らないが、こういう目標を立てて行動するという行為は、ぜったいにヒトしかできないんじゃなかろうか。なぜなら、この心理過程には、もう一人の自分が必要になるから。目標を立てる自分とそれを追う自分。一生懸命走り回ったあと、”自分自身を誉めたい”、なんて思うサルはいないはずだろうってこと。
実は動物は他者の心を理解できるのか、あるいはヒトはいくつからそれができるのかという有名な実験がある。(下の注に書きました)それによるとヒトでは3才では理解できず、4才では可能で、動物では現在ではまだ、確証がないということらしい。他者の心が分からなければ、当然もっと高次の他者、すなわちもう一人の自分も分かるわけがないだろ、というのが、先の言い分の根拠。
そんな話は置いとくとしても、ラジオ体操の紙もらって興奮したのは、確か夏休みの最初だけだったよなぁ、実際のとこ。それを考えるとふくらんだ希望の風船もまたしぼんでいくのであります。
(注):動物(多くはチンパンジーみたい)なり、子供なりの前でまず、一人目のヒトが、ある品物をロッカーに入れ、部屋を出て行く。つぎに、別のヒトが部屋に入ってきて、入れたものを別の場所にうつしてして部屋を出る。そして最初のヒトが再び部屋に戻ってきて、その品物をさがす。もし動物なりこどもなりが適切にヒトの心の状態を推論できるとすれば、この戻ってきた最初のヒトはロッカーの方へ行くだろうと予測するだろうという実験。こどもの場合は3才まではじっと見てるが、4才になると、一人目のヒトがロッカーに向かい出すと、違うことを知らせたいがためにわぁわぁ騒ぎ出す。「あんたはロッカーにあると思ってるかもしれないけど」違うぞってね。