たまたま

背帯につられて手にした文庫本がある。そこには仰々しい文字である文学賞を二つも獲ったと謳ってあったが、読み終わったあと詐欺にあったような感じだった。
ストーリーのつまらなさもそうだが登場人物にまったくリアリティを感じないのだ。なかでも二人の小学校五年生の男の子と女の子には驚かされてしまう。二人ともほとんど日を違わず母親を亡くしてしまうのだが、これほどまでに悲しみを感じずに-それも葬式の日から-過ごせる子供とは一体どういうパーソナリティを持っているのだろう。それだけでなく彼らの思考はまるで大人だ。女の子はある成人男性から性的な被害を被っていて、それが重要なプロットを形成しているのだが、どうやらそのためだけに無理な年齢設定したのではないかと邪推してしまう。
まぁ、受け止め方は人それぞれだろうから、それはそれとして、そんなことより本に出てきたある”解説”がとても気になってしょうがない。それはこんなものだ。


その男の子は○○さんという女性が死ぬ夢を見た。翌日その女性は飛び降り自殺をする。この奇妙な一致を父親にうち明ける場面がある。すると父親は夢と死んだことに関しての「4つのパターン」を紙に書いて説明を始める。
「夢を見た-死んだ
 夢を見た-死なない
 夢を見なかった-死んだ
 夢を見なかった-死なない」
賢い小学校五年の坊やはこう質問する。「じゃあ、4分の1の確率で当たっちゃってこと?」
それに対して父親はこう反論する「そうじゃない。お前がゆうべ○○さんの夢を見る確率も、○○さんが死んでしまう確率も、どっちも分からないんだから」問題はそんなことではなく「お父さんの言いたいのは、つまりこういうことだ」と”夢を見た”、あるいは”見なかった”箇所を次のように書き改める。
「歯を磨いた-死んだ
 歯を磨いた-死なない
 歯を磨かない-死んだ
 歯を磨かない-死なない」
 どうだ。「歯を磨いた-死んだ」のパターンは、「夢を見た-死んだ」パターンと一緒だ。だけど「歯を磨いたせいで○○さんが死んだとは思わない-そうだろ?」起こるとすればそれは偶然のことだ。それと一緒で「夢を見た-死んだ」パターンも偶然なのだ、と。
五年の坊やは「そいうことか」と理解する。
今手元にないので確認ができないのだが、「たまたま―日常に潜む『偶然』を科学する」という本にこれとほぼ同様の話があったように記憶している。読んだとき五十のオヤジは「どいうことか」と理解できないでいた。せっかくの機会だから頭のなかを整理してみたい。
まず「歯を磨いたせいで○○さんが死んだとは思わない-そうだろ?」のパターンを父親がやったように書き換えてみよう。するとこうなる。
「夢を見たせいで○○さんが死んだとは思わない-そうだろ?」
 さて、坊やは納得してくれるだろうか。明らかに坊やの最初の疑問へ後戻りしているではないか。たぶん父親と坊やのやりとりを書いた作家はこの問題を理解していないのだと思う。こう書いたからといって五十のオヤジが理解しているとは限らないのだが、とにかく、「歯を磨いた-眠たくなる」のパターンなので、なぜなのかは明日に続く。

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