いかさま

今読んでいる「屈辱の数学史」に狐につままれるような問題があった。
二人でやるコイントスの問題で、お互い、表裏裏や裏表裏などのように3つの組み合わせを予想するというものである。

ただし、ここでのポイントはコイン投げ3回を1セットと数えるのではなく、連続して表裏を数え続けるということだ。

対戦相手から予想させ、次にこちらが予想をする、ということであれば実はこれはいかさまなのだという。

著者いわく「このゲームを知ったとき、頭の悪い私にはまったく意味が分からなかった」らしく、さらに理解力の劣った院長がことの本質を理解するのになんども読み返す必要があった。

ようやく理解できたことをメモすれば次のようになる。
一番簡単な例で言えば、相手が”表表表”といえば、その組み合わせが登場するひとつ前の組み合わせは”裏表表”なのだ。
つまり、仮にコイントスでの表重表裏裏表表表表裏表・・・の組み合わせを考えると、相手が勝つ箇所の表表表のひとつ前は裏表表で、それを選んでおくと相手より先に勝つ可能性が高くなるということだ。

この組み合わせを含めほかの組み合わせの確率の具体的な数値が述べられているが、その計算方法は書かれていない。

でもそんなことより、重要なことに気づいた。
確かにどこかのバーでこのゲームを提案されたらそれはいかさまかもしれない。
でもこれは人生ゲームそのものではないだろうか。

もちろん裏表の二者選択ではなくより、多くのファクターが実生活には登場する。
それを使った相手の行動を漠然と、あるときは明確に予想してこちらの行動を決めているのだ。

要するに人生は化かし合いなのかもしれない。