分解酵素Ⅱ

昨日はほかの病院の忘年会に呼ばれたため、メモすることできず。ということで今日は、アルコール分解酵素について前回しておこうと思ったメモ。
 お酒に強い、弱いはアルコール分解酵素が多い、少ないで決まるというのは今や常識。それは遺伝的要因ということなのだが、強いにしろ弱いにしろ、じゃあ最初の遺伝子はどこから来たのかということが疑問として残る。どうも日本の場合では、縄文人と弥生人の違いにあるらしい。縄文人は酒を飲んでいたが、弥生人は下戸だったのだという。(参照1,参照2

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ニュートン力学

クリニックでは、時間が空いたときはスタッフ同士で自由闊達な討論を行っている。肉ジャガの味付けの仕方から、宇宙の大きさにいたるまで、守備範囲は広い。先日も、ひょんなことから潮の干満の話になり、なぜ満ち引きがあるのかということになった。だいたいの意見は、月の引力があるからでしょ、に落ち着く。クリニックの知的レベルに安心しながら、じゃあ、と答えを知りつつ、発展問題を出す。なんで2回満ち引きがあるの?

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おばさん

ジムで久しぶりにボディシェィプなるものをやった。自分の力に合わせて適当におもりを選び、重量挙げのようなバーの両端につけ、上げ下げやスクワットなどいろんなパターンの動きをするエクスサイズ。コーチを前に、20人ほどが彼に従って1時間ほど汗を流すのだが、ときどきご一緒するおばさんには、敬服してしまう。おもりはおよそ1Kg、2Kg、4.5Kgの3種類(もとはおそらくポンド表示みたい)あって、エクスサイズのパターンによっていろいろ自分で変えるのだが、そのおばさんは、いつもボクより重いおもりをつけておられる。そんなに力があるようには思えないのになぁ。

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がまの油

今日、ひょんなことでクリニックで使うパソコンのプログラムの一部に異常があることが判明。請求業務としてはあまり起こらないケースで、いままで問題なく過ごしてきてたようだ。患者さんのいないときに、いくつかのシミュレーションをやり、問題の所在だけは確認でき、夜を復旧作業にあてる。

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メール屋敷

今日メールの整理をしていたら、高校の同窓会からの e-group とやらの案内がYahoo経由できているのに気づいた。一度にメールの配布や管理ができるシステムらしく、早速加入手続きをした。しかし実はこれ今年9月のメール。現在ボクの outlookexpress には1000通近くの未開封メールがあるのだ。

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タマちゃん

今日は久しぶりに野外での自転車の練習をした。予報では降雨の確率が高かったので、近くの周回コースをしばらくやっていたが、天気はなんとか持ちつづけたため、それではとバイパスに繰り出す。片側2車線のまぁまぁ広い道路で、距離も起伏もけっこうある。がんばるときは、そこを周回するのだが、今日は近くでやっていたこともあり、1往復に止めようと考えていた。折り返し地点まで数キロあたりだったろうか、反対車線を進む電動自動車に乗っているおばあさんとすれ違った。こう書けば別に変哲もない話だろうが、この車、実は2車線の中央線側を通っていたのだ。

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アルコール分解酵素

昨日は医師会の忘年会でメモはお休み。ついでに今日の診療もお休みにしたいほど、ひどい二日酔いだった。ということでアルコール分解酵素についてネットでしらべていたら、おもしろい裁判記録が引っかかった。相手は司法に関わる方(中部地方の地方裁判所の裁判官)で、きっとここで引用しているのを知られれば訴えられるかもしれないなぁ。ということで、リンク先も出さないようにし、ごく一部だけの引用にする。案件はセクハラについての判決文みたいなのだが、次のようなもの。

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ADSL

HPを始めてネットの利用時間がいままでの倍以上にふくらんでしまった。ネットでHPの素材を探したり、URL上の作動を確認したりの、いわゆる初期投下の影響だと思うのだが、当然お支払い額はアップ。じゃあ、ズート一定料金でネットにつなげるADSLというのがあるみたいだから調べてみようと、さっそく図書館から入門書を借りていたが、他の本のなかに埋もれたままだった。その返却期限が今日だったのに気づき、あわてて朝5時から風呂につかりながら読む、というか眺める。

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ラジオ体操

日付とメモが連なっているだけだったが、たかだが5つか6つの文章だけでも、もうごちゃごちゃし出した気がしたので、昨日の昼からメモの部屋の模様替えをした。ホント場当たり的に画面を二つに分けて、日付など作ってと、なんじゃかんじゃやってると、なんとなくさまになってきた。HPのツウにとってはこんな配置換えなんのこともないのだろうが、初心者としては、うまくいってマジうれしい。かなり整理整頓もされているしなぁ。この模様替え、とくにカレンダー部分はなんか見てるだけで身が引き締まる。夏休みの朝のラジオ体操に出たとき、ハンコをもらったでしょ?そのときに味わったような、ある種の興奮が、このカレンダーを埋めていく作業にはあるような気がするというのは、おかしい?

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お休み

 今日は腎癌の講演会があり、その後の懇親会で疲れたため、メモは中止。
 ただ昨日のヒツジさんの件はまだ心にひっかるものがあるなぁ。現代医学の視点でものをいうと、輸血しなければならないほど出血していたとすると、青年はそうとう衰弱してただろうし、元気な人でさえヒツジの血を輸血すると拒絶反応でまいるだろうから、そういうバテバテの人にヒツジの血を輸血したら、一発で危険な状態になるんじゃないだろうか。
 で、そこから導き出される論理的結論。その青年はなんの病気かしらないけど、ヒツジの輸血などしなくても、、自然に元気になっていたんじゃなかろうか?、

 今日テレビで”九死に一生スペシャル”なるものの放送をやっていた。この”九死に一生”という意味についてのメモ。危うい状況であるというのは分かるのだが、その意味するところは、十回同じようなことが起こったら、九回は死に、一回は生き延びるということなのか、あるいは10人に同じことが起これば9人は死に1人は生き延びるということをいっているのか、どっちなんだろう。

2002年12月3日
 統計でいうところの”差がある”ということについて前から、なんとなくしっくりしない数字がある。たとえばAという薬とBという薬の効果を調べるとき、一方が平均0.5回効き、一方が0.7回効くというデータが得られたとしたら、それははたして効果に差があるのかどうかということを統計上示さなければならない。統計上の考え方は、二つの薬がもし同じ効果だとすると、という仮定から出発し、その場合、0.5と0.7という差が出るのは、”めったに”起らないということになれば、差があると捉えるんですよね。
で、その”めったに”というのは、だいたい100回あったら5回以下というのが、普通みたいなんだけど、日常感覚ではその数値はそんなに”めったに”とも思えないのですが、どうでしょ。100人いたら5人ぐらいほかの人より、たとえば背が高いとか低いとか、まゆが濃いとかうすいとかいてもおかしくないしなぁ。
 きっと理由は日常の捉え方としては、100というのは人数とか個数とかのように個々を捉えるんだけど、統計での考え方は、すでに統計量となっている0.5とか0.7を対象にしているからだと思うんだけど、なんとなく不思議。

 で、最初の話。”十回同じことが起こったら”、という方はすでに起こったことに対しての数値を示す統計量を問題にしているのに対し、”10人に同じことが起これば”、という方は個数を数えているような気がする。だって個数のほうは次に同じことが10人に起これば9人が助かることだって起こるかもしれないということなんでしょ。
 だから”九死に一生”は十回起こったら、九回はやばいぞっていうことになるのでしょうか。

 うーん正直分かりません。まぁ助かればそれでいいんでしょうけどね。