首と頭

 ネットサーフしてると、”Why we nod our head for yes and shake them for no?”という題のサイトに行き当たった。
 人は肯定するとき首を縦に振り、否定するときは横に振るのはなぜだろうと考察を加えているサイトだ。かのダーウィンもこの問題に関心を寄せていたらしく、海外へ旅立つ宣教師たちに調べてくれるよう質問票を送っていたという。
 世界にはいろいろなイエス、ノーの表現があるようで、たとえばオーストラリアの先住民は否定のときは首を振らずに右手を挙げ、二三度軽くヒラヒラと回転させる。ボルネオのDyaks(種族?)はイエスでは眉毛を上げ、ノーでは目を変な風にして見るという。


 くだんの首の動きに関してはブルガリアでは完全に逆で、いわゆる頷きはノーで、首を振るとイエスという意味になる。
 とはいえほとんどの文化圏ではイエスのときは頷き、ノーのときは首を横に振っているのだ。
 赤ん坊は嫌いなものを口の前に出されると首を横に振るし、好きなものについては頷いて催促していることに気づいたダーウィンは、なにか生来備わっているものがそうさせるのかもしれないと考えていた、ってなことがサイトで述べられている。
 確かにいわれてみると不思議だ。カミさんの命令には頷くことも否定することもなく黙って従うしかない立場にあるものでさえ、不思議なことに思える。
 前置きが長くなったが今日のメモはこれに言及することではない。気になったのは、「頭を縦(もしくは横)に振る」と、「首を縦(もしくは横)に振る」のどちらがが正しいのか、ということだ。恥ずかしながら分からないのだ。
 たとえばともに日常的に経験していることだが、「頭が回らない」と、借金で「首が回らない」とは大きく異なる。あるいは「首を洗って待つ」と彼氏を「頭を洗って待つ」も違う意味になる。
 もしこの話題になにか意見があるならぜひ書き込みをして「首を突っ込んで」欲しい。くだらないメモだと思うならパソコンの画面に「頭を突っ込んで」欲しい。
 このように頭と首は違うのだ。解剖学的には首も頭もともに振っているからともに正しいような気もする。だが「首を縦に振る」とは慣用句として紹介してるサイトもあることだし、首と頭じゃ振るのが違う意味になるような気もするのだ。
 首を振りながら頭をひねっていたら、首をひねってしまったおやじに、どなたか知恵をいただけないでしょうか。

”strange dope”というサイト。”奇妙な情報”とでも訳すのだろうか。普段感じるちょっとした疑問を投稿してそれに管理者や訪問者が答えるというものらしい。ほかのページを軽く開いてみた印象では、自らウラを取る必要があるかもしれない。
 もしもっとも”strange dope”の管理者がこのメモを訪問するようなことがあれば、相手もきっと自らウラを取ることを呼びかけることだろう。

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