君に読む物語

 年を取ると動作が鈍くなる。先日も100mを5秒で走ろうと思ったが、やはり年のせいか、無理だった。
 確かにいくら若いもんには負けないつもりでいても、いろんな動作で機敏性が落ちているのだ。
 所詮若い奴らと比較するのは、無理な話だという意見もあるだろう。といって、りっぱに仕事をこなしている多くの中年オヤジにも負けているから、一体だれと勝負すればいいというのだ。
 全くお手上げだ。強いていえば、手を上げることができる分、”お手”もできないウチのアホ犬に勝っているといえるぐらいだろうか。


 と、こんな悲観的な日々を過ごしていた今日、こんな記事が目に飛び込んできた。題して「Old People See Big Picture Better」
 老人は大きな画像はよく見える
 日付を見ると2月3日になっている。こんな大事な記事を何日も放って置いたなんて、自分が恥ずかしい。
 思ってる以上に、動作が鈍くなっているのかもしれない。
 ということで、少し紹介してみる。
 パソコンの画面で左右から棒が出てくるのを若い人と年寄りに見せて、その反応を見る。
 棒が小さくてコントラストがないときは若ものが優秀だけど、棒が大きくなり、コントラストが高くなると、老人の方が優れていた。
 どうしてそうなるかというと、若い連中は年寄りより、より情報の雑音を取り払うことでものを認識してるからじゃないか、という。つまり若者は見た目の白黒をきっちりつけないと情報として認めないというわけね。
 で、情報量が多い大きい棒やコントラストが高い棒だと、そのモードのままじゃ、認識に時間がかかるからだろう、というのが推論。
 サッカー観戦なんか、年寄りは個々のプレイヤーを追っかけて見るのはつらいけど、全体がどう進んでいるのか理解するのが得意だ
これは8人の若者と8人の老人を対象とした研究の結果で、今後54人を対象に研究を進めるという。
 なるほど、最近、医学雑誌を見ても読む気が起こらなかったのは、怠惰のせいじゃなかったのだ。目次の題名だけを見て、なんとなく分ったような気がしていたけど、本の小さな文字を追っかけるより、知らず知らずのうちに全体像を掴むことに能力を発揮していたのだ。
おかげで、まだ目を通してない雑誌が山積みになっている。
 思えば、最近見た映画、「君に読む物語」を見たときもそうだったのかもしれない。見終わったあと、不覚にも泣いてしまった。オヤジのどす黒い涙を流しながら、泣いてしまった。
 この映画、呆けた奥さんに、若い頃自分たちが経験したことをダンナが聞かせてあげるというストーリーで、そのストーリーを書き留めたのはダンナだと思っていた。でも、見終わったあとで、一緒に見たカミさんが指摘したことを考えると、どうもそのストーリーを書いたのは、呆ける前の奥さんみたいなのだ。どうも字幕を見逃していたようだ。
 まぁそれは、それでいい。流した涙のどす黒さが変わるわけじゃない。ただ、こんな重要な点を見逃してても、見終わったあと泣けるのは、全体を見る能力が長けていたからじゃないかと思う。
 大事なことは、銀幕にさっと流れる翻訳の文字も、さらには物語のストーリーさえ、ちゃんと理解できなくても十分楽しめたということだ。
 たかがそんな能力、といってバカにしてはいけない。若い人には分からないかもしれないけど、銀幕の字幕のように日々繰り出されるカミさん小言も、さらには人生のストーリーさえ分からなくなっても、十分楽しめるのが、年寄りの能力なのだ。

ネタ元
Old People See Big Picture Better Live Science03 February 2005

“君に読む物語” への4件の返信

  1. イメージとして
    ジジーは人生を ババーは生活を
    考えて生きておるような・・・w

  2. なぜか日清チキンラーメンの汁は全部飲んでしまうのですが・・
    メモとは無関係ですね

  3. 人生長く生きて来ると要領がよくなる。そして、細かいところは気にせず、ものごとを大局的に見るのです。
    月に一回隅々まで掃除する部屋は、日々の掃除は真ん中を丸く掃けばいいのです。(年寄りは細かいところに気を使わない。)
    かくいう王様はまだその域には達していないのですが。

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