パニック

 今日の昼のこと。ヒマなクリニックであることを知ってか、子供が3人、待合いに駆け込んできた。小学5,6年の女の子ひとりと、1,2年生と思われる男の子二人で、その男の子のひとりが泣いている。
 どうしたのかと聞くと、その子、胸の辺りを押さえながら、「死んでしまう」と、死んでしまう割には元気に訴えてる。どうやらその子とおねえちゃんは姉弟のようで、おねえちゃんの話によると、誤ってラムネの玉を飲み込んだらしい。


 ものが喉につかえるときは、ふたつの場合が考えられる。ひとつは気管に、ひとつは食道に詰まる場合。気管につまると話すことができなくなる。問題の子は、「死ぬ死ぬ」としゃべている。だから、気管にはなく、食道に詰まっていることは、院長ほどの名医ともなるとすぐ分かる。おねえちゃんも同じようなことをいってたから、きっと名医になる資質十分だ。
 となると呼吸困難で事態が急変するということはない。とはいえ、その子、相変わらず、「死んでしまう」と訴えている。ひょっとしてラムネの玉がぴったし食道の粘膜にでもひっついて、身動きできなくなっているのか。となると次の処置はなんだ?
 人生の修羅場にはいくつか出くわし、大抵が身を滅ぼしてきたけど、医療の一大事には、概ねうまく乗り越えてきたという自信がある。こういうパニックている患者に対してまずしなくてはならないことぐらい知っている。
 それは気持ちを落ち着かせることだ。パニックっていては、やるべきこともやれない。
 そう自らに言い聞かせて、まず深呼吸をした。こちらがパニクっていてはやるべき処置もやれない。
 で、どのくらいの大きさなのか聞くと、その坊主が親指と人差し指で目一杯の輪を作ってみせたのはピンポン玉ぐらいの大きさ。とても誤って飲み込める大きさではない。坊主、そんなことあるはずないじゃないか。お前はヘビか。そういいかけたとき、おねえちゃんが、口にしていたものを取り出して、「これ」、と示した。
 なんのことはない。一円玉ぐらいの大きさの”ラムネ”という円盤状のお菓子を飲み込んだというわけ。
 さてどうしようかと思案していると、ふとそばにある麦茶に目が行った。クリニックでは、商店街の店先に置いてあるような冷たい麦茶が待合いに置いてある。もちろん患者呼び込みのためのサービスなんだけど、エサであることを察知されているのか、なかなか患者は待合いにあふれない。それはさておき、それを飲ませたら流れ落ちるだろう、そう閃いた。思案してものの数秒も経っていない。名医とはそういうもんだ。
 と、コップを手に取とうろすると、すでにおねえちゃんが、コップに手を出しているじゃないか。よほど名医の資質を備えているに違いない。
 ということで二人して麦茶を飲ませて様子を見る。
 具合を訊ねると、さっきよりいいけど、まだ死にそうだと、泣きじゃくる。なるほどなるほど、さっきは大変死にそうで、今は少し死にそうなのか。きっとこのままだと、ちょっと死にそうになって、あるとき急に元気になると読んだ。
 名医の推察どおり、数分後にはその坊主、ケロッとした顔になった。もう少し涼んでいってもいいぞと、勧めても、おねえちゃんが、「おかあさんが家で待ってるので」と律儀に断りを入れる。
 ということで、三人そろって待合いを出ていったんだけど、問題のチビ、なんと手にしていたお菓子の袋に手を入れ、またもや口にしてる。帰り際だったので、何を食ってるのか分からなかったけど、またラムネだったら、また死ぬ目に会うぞ。
 一体、なにを口に入れたんだろう。
 その後姿を見ながら、心配のあまり心のなかでこうつぶやいた。
 ぱに、食ってんの?

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