「スピルオーバー」

この「院長室」のメモに決定的に不足していることは、合理性とそれに基づく信憑性のある創造的な表現だ。
だからこそルポルタージュ作家には大きな敬愛の念を抱く。
なかでも「スピルオーバー」を上梓した米国人作家、クアメンさんはピカ一だと思う。
街ですれ違えば、きっと気づかないだろう。写真を見ても顔を見たことがないから分からないと思う。
でも本を読めば、クアメンさんが隣にいるような気持ちになるはずだ。

この本はウイルスや細菌といった人畜共通病原体の種別間伝播を扱ったものだ。しおりを作るのには有り余るほどの頁があるがどんどん読み進めることができた。

フィールド研究者とともに森林や現地を歩き、ヘンドラ、エボラ、マラリア、SARS、Q、オウム病、ライム病、ヘルペスB、ニパ、マーブルグ、HIVなどの起源をたどっていく。

夜の街の個人的なフィールド調査しかしたことのないものの想像をはるかに越えた過酷さのなかで得られた研究の成果は、病原体がヒトにたどり付くまでの流れを明らかにしていく。
その描写のなかでクアメンさんは潤沢な想像力を披露するのだ。

以下はエボラウイルスに針刺し事故で感染したかもしれないという研究者の記述だ。
「次に彼女は2番目のドアを押して、グレーサイドと呼ばれる脱衣所に入った。長靴を脱ぎ捨て、ブルースーツを手袋を即行ではぎ取り、医療用スクラブだけになった。そして壁掛け電話を使って親しい友人二に電話をかけた」

昨年読んだ本でもっと的確な個所もあるのだろうが、急ぎピックアップしてみた。
間違いないのは最後の数十ページの、森林の奥地からHIVが人のなかに登場するまでの下りはだ著者の信ぴょう性のある創作物で圧巻である。