よその病院の若い看護婦さんから聞いた話。最近、その方が患者さんに点滴をしようとしたら、血管が細くてなかなか入らなかったそうな。じゃあということで、40代の男性看護士さんがやってみたところ、かろうじて針が血管に入ったという。
よかったよかったとその場の道具を片づけていたら、ものの数分も経たない内に、注射したところがふくれ始めた。要するに点滴が血管の外にもれ始めたわけね。
で、ごくごく自然にその看護士さんの口をついて出た言葉が、「ガチョーン」。その看護婦さん、かろうじて一発ギャグだとは分かったけど、別におもしろくもなかったらしい。まぁ昔のギャグだから知らないのは当然でして。
でね、「だから、オヤジはだめね」と、あたかもオヤジ代表にクレームつけるかのようにボクに語られる。
まぁそれで看護婦さんのフラストレーションが少しでも解消できれば、それはそれでよしとして。
で、思ったこと。看護士さん、その言葉を発したあと、また黙々と点滴の作業に移られたそうで、ウケをねらっていたのかどうかは不明だけど、どちらにしろ、「ガチョーン」という言葉に、ポーズとか始めた人の顔とかいろいろな景色が、その看護士さんの頭の中で重ねられていたんじゃなかろうか。
こんなことってよくあるような気がする。たとえばメロディーは分かるけど曲名が分からないときなんか、口ずさんでほかの人に聴いてもらっても、曲のイメージがなかなか伝わらないとか。
自分の頭のなかではドラムやバイオリンやトランペットの音が鳴ってるのに、ただ口からでる音はムーとかフーとか情けない音だけ。
つまりは、論理とかと違って、情景などという気持ちが入った情報を伝えるのには、言葉というのは相当多くを要するんじゃないかと。
もうすぐバレンタイン。そのときに「はい」ってプレゼントだけしても、きっとほとんど自分という情景は伝わらないはず。
残された何日間でも、きれいなメロディーを聴いてもらえるよう努力するのも素敵かもね。
ドロドロ、少女趣味なメモで、すいません。昨日のメモのお目直しの意味を込めまして。