医学的、科学的解説や自身の生活史を交えた脳外科医のエッセイだ。氏は末期の前立腺癌を宣告されている。
読み物としての本の価値は共感できることがどれだけ多く語られているかによることは違いない。そして多くの共感を得た件の表現には少なからずの真理が潜んでいるのだろう。
ふと、リンゴが落ちるのを見て重力にたどりつくニュートンの話を連想する。
リンゴであれ、ボールであれ、地球であれ、そこにある真理は同じものだ。
本の場合も、どんな形を纏った表現あれ、そこに幾ばくかの真理があれば多くの共感を得るのだろう。
実は著者との間で極めて多くの共通点がある。
医師であること、同年代の老人であること、癌を患っていること、さらには氏の患う癌が日常の診療対象である前立腺癌であることだ。
そのせいかとても深く共感できる箇所が随所にあった。
医療ミスを起こした患者への対応、医師としての癌患者への思い、現実化した死へについての考えなどなど。
そしてそこにあるのは医師や医療としての姿を取って語られてはいるが、実は多くの人に共通することでもある。
誰にでも訪れる死についてはいうまでもない。あるいはむずかしい手術を依頼されたとき高齢になった氏がうまく手術できるか悩んだ末、後輩の医師に手術をゆだね、た記述があるが、それは自尊心との葛藤でもあり、年を重ねるにしたがって誰しもが経験せねばならない事柄のひとつだろう。また自身の手術での出来事を語り「自信を持つという事と、助けを求めるタイミングを見極めることとのバランスを取る」重要性はなにも外科医に特有のことではないはずだ。
氏は困難な手術をやりとげ、ネパールやウクライナで手術を行ない、大病院での運営や講義を担うなど、すばらしい経歴を持つ医師だ。
語るほどのものがない院長とは雲泥の差があり、氏の足の裏の表面の皮膚にも及ばない。それでもあまりに共感する箇所が多く、正直、氏が昔からの友人のような感覚を抱いた。
お互い存命中にどこかで会うことができたら気軽に語り合うことができるかもしれない。
でもそのとき、「やぁ」と声を掛けても彼ならきっとこう返すだろう。
「君、腐ったリンゴの臭いがするね」