50年に1度

台風8号がなんとか過ぎ去った。大雨が各地で大変な被害をもたらしたようだが、気象庁の「50年に1度の」という警告には多少の違和感を覚えている。というのは正直、危機感がわいてこなかったからだ。もちろんそうした雨に遭遇すれば事態は全く違うのだろうが、事前に危険を周知させる表現としてはいかがなものなのだろう。


きっかけは、同じような雨が降れば、「50年に1ないし2度の」という警告になるのか、という疑問からだった。昨今の異常気象では3度だって起こりうるかも知れない。そうなると「50年に1、2ないし3度の」という風になるのか、というするどい愚考に発展して行く。
さらには「50年に1,2,3,4,5…ないしは10度の」という事態もありえるではないか。これではあまり危機感が感じられない気がする。ということは演繹的に「50年に1度の」という警告もあまりインパクトないのではないか、という最初の疑問にいたったのだ。
気象庁のいいう「50年に1度」の実際の定義はここにあるが、どうやら観測以来50年ごとの最大雨量の平均値以上の雨量のことを指しているようだ。
いずれにしてもその雨量で起こった土砂災害数、死傷者数、家屋の水害数などをいってくれた方がもっと危機感が伝わるような気がする。
そもそも人の時間の感覚というのは長い単位で語られると実感できないようになっているのではないか。東京ドーム何個分といわれてもピンとこないのと一緒で、そういう感覚を身につけることは進化の上ではまったくといっていいほど必要なかったからではないかとにらんでいる。
たとえば「70年に1度の」危機といってもよく分からないのと一緒で、その状況で起こる死傷者数、家屋の被害数なんかが分かればもっと危機感が伝わってくるかもしれない。
あ、これ、集団的自衛権の解釈の話ね。だけどやっぱりそんな数、分からないか。

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