貧乏

 六本木ヒルズという、東京の新名所がある。丘の上にいくつかの高層ビルが建ち、テレビ局があることもあってか、最近の東京文化の発信地になってるみたい。
 そこに昨日行ったんだけど、そのときのメモ。


 その高層ビルの一つがマンションなのね。ひとつ、ン億からン十億円もするらしい。きっと、貧乏院長には想像できないような生活が繰り広げられているんだろうね。
 想像できないにも関わらず想像してみると、夜ともなれば都心の明かりを見下ろして、悦に入ってる住人もいるに違いない。ひょっとすると下から高層ビルを見上げている院長を、望遠鏡か虫眼鏡で見てたかもしれない。
 そんな住人には、院長なんかゴキブリにしか見えないんだろうなぁ。
 でもね、そんな高いところは酸素濃度が低いに違いない。いや必ずそうあって欲しい。それはいずれ健康に厄災をもたらすであろう。たとえば百グラム1万円の肉が気づかずに腐り、食あたりを起こすとか。
 それに比べ地べたを這うような人生を送ってきた院長の生活はどうか。平屋の住まいには、たっぷりの酸素が漂っている。となりの百グラム100円の肉のにおいもたっぷりと漂い入ってくるけど、平地の酸素濃度はきっと幸いをもたらすはず。たとえば腐り始めた肉が、もう一日は持つとか。
 だから、どちらがいいとかいうヤボな話をするつもりはない。それは人の生き方の問題が絡んでいるのかもしれないしね。
 でも、ただ一言だけ、いいたい。
 台所のゴキブリでもいいから、高層マンションのなかに入れて。

 その題材はその作家が扱ったゴクゴク一面なのですが、”貧乏”を題材にしておられた作家がなくなられました。
 ボクの人生のほんの短い間、時間を伴にさせてもらいました。短い時間でしたけど、その時間は文字を綴る作業のなかでずっと続いているような気がします。
松下竜一先生のご冥福を深く深くお祈りします。

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