角打ち

 いつも自分にきびしくあろうとつとめている。昨日もそうだった。
 近郊の街でちょっとした医学の勉強会に参加したのだが、理解できない箇所がいくつかあった。会が終わったあと、そんな己のなさけない脳におしおきしようと、夜の街に一人くりだしたのだ。


 のれんをくぐったのはカウンターだけしかないいわゆる角打ちの店だ。といっても食事もできるようで、右手には10人ほどがたたずめる長いカウンターとそのカウンター越しに調理場がある。左手の壁には1,2人用の小さなテーブルがオブジェのように壁から突き出ていた。
 飲酒という点ではショットバーと本質的には変わりないのだろうが、この店の電灯は煌々とともり壁には値段とともにコロッケだの唐揚げだの、あるいは焼酎や日本酒の銘柄などがかかれた紙がベタベタと貼られている。かつ客はおやじばかりで男なら別れたい相手を誘うにはぴったりの場所に違いない。
 そんな店の小さなテーブルが空いていた。読み始めた本があったのでそこを選び、いくつかのつまみとビールを注文し、やがて運ばれてきたビールで本を開きながらのおしおきを開始した。
 本は「動的平衡」というタイトルの福岡伸一さんが著したものだ。分子生物学者である彼の「生物と無生物のあいだ」を読んで浅学と無学のあいだにあるものとしては大変感動したことがあり、本屋で見つけると迷わずにこの本を手にしていた。
 内容は多岐にわたるのだが、眼目は生命というのは動的だということだ。
 本の一節を借りると「一輪車に乗ってバランスを保つときのように、むしろ小刻みに動いているからこそ、平衡を維持できるのだ。サスティナブルは、動きながら常に分解と再生を繰り返し、自分を作り替えている。それゆえに環境の変化に適応でき、また自分の傷を癒すことができる」ということになる。
 いろんな事例を扱っていてあまりにおもしろく、ビールを追加してはまた追加し、おしおきの度を深めながら頁を進めた。
 同じ姿勢のままでは疲れるので、ときどき体を起こしテーブルにかけていた体重をすべて足に任せたりしてみる。そんなことをやってると、足がなんだかフラフラする感じにふと襲われた。
 気づくと時計の長針と短針が最低1回は交差する時間、立ったまま本を読んでいるではないか。
 こんな経験は中学生のとき本屋で文庫本を立ち読みして以来、なかったことだ。あれからはるかに年を重ねている。その時分に比べると足腰も弱っていているのだろう。ビールのおしおきも度が過ぎたのかもしれない。時間を追うごとにフラフラ感はひどくなっていく。
 普段でも酔いを実感することがあるが、それはろれつが回らなくなった口であったり、焦点があわなくなる目であったりするわけで、足に酔いを、それも経時的に感じたのは初めてのことだ。
 とはいえ不思議なことにちゃんと立って本が読めている。
 ああ、これが福岡さんのいう、動的平衡なのか、と曲解する自分にさらにおしおきしようと、ビールの注文を重ねた夜なのであった。 

“角打ち” への2件の返信

  1. 酔っ払うと目が回りますが、
    そもそも地球はものすごい勢いで回っているらしいじゃないですか。
    きっと酔っ払って目が回っている状態の方が正常なんですよ。

  2. あれれ?
    しばらく更新がないですね。
    お元気でしょうか?

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