色あせる記憶

堂々と生きてきたからか、恥ずかしい記憶などほとんどない。あってもすべて黒く塗りつぶしているから覚えていない。おかげで人生の記憶は真っ黒だ。
ところで記憶は古い写真のように時間とともに品質が低下し色あせていくという記事があった。
「音楽祭に行き、好きなバンドを見たことを覚えている人もいるかもしれせんが、明るい舞台照明や低音の強さなど、その官能的な経験の強さは徐々に消えていきます」ということらしい。

うーん、あまりピントこないが、きっと、こうしたことではないか。

前の日曜のこと。久しぶりに公共バスに乗った。本当に久しぶりで、かつそのバス路線に乗るのは初めてのこと。
乗車口のドアが開き、まず整理券を取る。久しぶりのことでは何事も漠然とした不安を抱くものだ。バス停が確認できる一番前の席に座ったのもそのせいだろう。運転席の斜め後ろでもあり、いわば飛行機でいえばパイロットの姿を見ながらの小旅行、多少の不安も和らぐだろうとの判断もあったかと思う。

目指すは乗ったバス停から10個近く先の大型ショッピングモール前のバス停まで。運転手はマイクを通しやや小さめの声で次の停車バス停名を口にする。
そして徐々に不安の原因がはっきりしてきた。降車時の支払いはどうするのか、ということだ。ポケットを探るとコインは300円。千円札は持っているけど、両替はどうすればよかったっけ? と少し焦る。 

整理券と料金を照らし合わせるといまのところ300円以内に十分収まっているので問題はないだろう。
降車時、ほとんどの人は財布の類いを運転席横の支払い器に押し当てるだけ。ああ、SUGOCAみたいのが使えるんだと思ったが、乗車時に使ってないからアウトだな、とまた思考を両替に戻す。

料金はいつのまに290円に上がっている。でもまだまだ300円以内だ。このまま上がらないことを祈っていたが、残り3つのバス停で350円にあがった。

まずい。手元の千円を両替するしかない。きっと支払い器に両替の案内があるのだろうと、見つめるが、両替とはどこにも書いていない。でもそんな客もなかにはいるだろう。きっと申し出れば運転手さんが両替してくれるのだろう。そう思いつき、揺れるバスのなか、運転手に近づき両替をお願いする。
すると彼はなにか答えたのだが、小さくて聞き取れない。なんとなくそぶりで大丈夫だといっていると理解し、また席に戻った。

やがて目的のバス停に停まった。座席の位置関係からして最初に精算機の横に立つ。ほかの客も何人か並んでいるようだが、そちらに目を向ける余裕もなく、作業を始める。

整理兼と千円札を見せると、運転手は精算機の上にある透明プラスチックの箱を指さす。ああ、これに整理券を入れるのだったと思いだし、さらに精算機の横にお札と同じぐらいの挿入口があるから、ここしかないと踏み、千円を入れた。
すると挿入口の下にある受け皿にコインがジャラジャラと出てきたではないか。

ああ、よかった、そう安堵し出てきたコインを全部回収したあと、バスを降りたときことだった。
運転手がなにやら言っている。記憶はさだかではないが、「おかね、おかね」といっていたような気がする。

あー、えーと、整理券を入れてお金を入れたから精算は終了してるんじゃなかったね、確かにそういう記憶だったと、とあわてて精算機に駆け寄り、ほかの客が待っていたのは目の片隅に入ってはいたが、その方向には決して目を向けないようにしながら支払いを終えたのであった。

ほら、ネタ元にあったように、記憶は色あせるでしょ?え、どこも色あせていないって?
失礼。記憶は色々あせるようになっている、の間違いでした。

(この記憶もド真っ黒に塗られる予定)