習い事

 音楽の習い事をすると、IQが高くなったという記事より。
 6才の子供たちを募集して、ピアノを習わせる群、歌を教える群、演技を教える群、それとなにも習わせない群に分けて一年後にIQテストをしたところ、ピアノと歌の群が、始める前よりよくなったという。


 院長の痴性は分かる。だがヒトの知性ってのはなんぞや。ひいてはIQテストってのは、一体なにを見てるのか。
 そういう問題は残るにしても、音楽は、きっと、音楽以外のなにかの能力を育てるんだろうなというのは、なんとなく分かるような気がする。
 まぁ地方紙が仕掛けた実験のようで、音楽会社の後押しでもあるんじゃなかろうかと勘ぐりを入れたくなるような記事でもあるんだけど。
 で、思い出したこと。少年院長も二つ、習い事を経験した。というより親から強制的に向かわされていた。
 チンパンジーなどに筆を持たせて絵画と称して見せ物にしてるような映像を見たことがあるけど、親もそんな商売を考えていたのだろうか。最初は絵画教室。楽しかったけど、いやなこともあった。というのは、出来上がった絵に先生が筆で、グイッと線を入れるのね。
 確かにリンゴはつぶれていたかもしれないし、机は四角じゃなかったかもしれない。そりゃ先生の線がよりいいのかもしれない。
 でもね、せっかく努力して描いたのよ。ほんとに失礼なって思いもあり、しだいに通うのをぐずりだした。大人になってもはっきりとした思考など持ち合わせてない院長のことだから、子供のとき、明確な意思表示などできるわけないけど、親もなんとなく感じてくれたんだろう。これじゃとても商売にならないとの思いもあったのかもしれない。結局、この習い事は通わなくてよくなった。
 次は習字。血縁に達筆のものがいず、その一族の屈辱をはらすべく、選ばれたのが少年院長だったのだろう。でも、この習字には最初から全く興味がなく、なんとかさぼることができないかだけを考えていた。
 その時間になると、あるときは部屋の押入に、あるときは自動車の後部座席に入り込み、身を隠した。そのつど探し当てられてはいたけど、そのとき養われた能力は、現在、夜の盛り場で、隠れ家をさがすのに役立っている。
 ということで、カルテに描く身体の絵は、いまだ絵画教室に通っていたときのレベルを出ず、字にいたっては、以前カルテに書いた自分の字がなんなのか読めないこともしばしば。
 スタッフももうあきれていて、いまではヘタな絵をともに笑い、ミミズのような字をともに解読している。
 ほかの医師ならともかく、アホな院長だから仕方ないな、というスタッフの思いが、笑いのなかではかなく伝わってくる。
 結局、少年院長の”習い事”は、院長”なら、いいこと”、になってしまった感がある。

ついでに思い出したこと。
ニキビ面の院長、テレビに映るピアノを奏でる若者にあこがれ、母親にこう嘆いたことがある。
なんで少年院長にもピアノを教えてくれなかったのか、と。
母親いわく、「あんた、絶対に続いてないバイ」。

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