疑問

 今日、親しくしてもらっているあるご夫婦と、ある故人を偲ぶ会にご一緒した。その会場に向かうタクシーのなかでのこと。
 ここんとこ暑い日が続いていて、今日の昼もムシムシとした天候だった。で、オクさんが、「なんでこんなに暑いのかしら」という。するとダンナさんが間髪入れずに、こうおっしゃる。
「地球の地軸は傾いていて夏は太陽光線の放射面積が多くなるの。それだけじゃなく地球温暖化も加わってて…」云々。


「いつもいってるじゃない」というのが最後の言葉。もちろん非難めいた口調ではなく、冗談っぽいからかいであることは明らかだ。確かにいつも聞かされてるんだろう、オクさんも、「はいはい」ってなカンジで、その話題を終えられた。
 まぁ微笑ましい夫婦の会話といえばそれまでだけど、でも、そこには人生における真理が隠されてることにお二人は気づいておられなかったようだ。いや、むしろそれを見抜ける人はそういないだろう。番組の最後のジャンケンで、サザエさんがなにを出すのか見抜ける人がそういないのと一緒だ。
 もう一度話を整理しよう。オクさんはなんども聞かされていたようだから、ダンナさんのいう、「なぜ暑いのか」の理屈は納得されていたはずだ。
 それなのに、「なぜこんなに暑いのか」と、オクさんは疑問を発された。
 そう、世の中、理屈ではないのだ。
「なんでこんな暑いところにいるの?」、「わたしなにも悪いこともしてないのに、なぜこんなに暑いの?」、「ベッカム似の男性がなぜ、同乗しているの?」、そうしたさまざまな疑問が狭いタクシーのなかで湧いていたのだろう。
いずれにしても、理屈では表現できない思いが、「なぜ」という言葉に凝縮していたはずだ。
そして驚くべきことに、その疑問には答えがなく、疑問を発した人も答えを要求してないのだ。
 思い出して欲しい。おそらく誰しも母親からいわれた小言を。
「なんであんたはそうなの」
 いわれた方は、その疑問の答えはさっぱり分からず、いった本人も答えを要求してなかった事実を。
 そう、だから、「なぜお酒を飲むの」と聞かないでほしい。理由などなく飲みたいときもあるものなのだ。
 ただでさえ、故人を思い出して仕方ないというのに。

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