極秘

 日常生活で極秘にしなければならないことは、いくつぐらいあるだろうか。
 いまさらヘボ医者であることは隠せないし、隠す資産なんか豚の貯金箱以外にはない。せいぜいが、白衣が似合う割には、毎夕なさけない格好でアホ犬の糞の始末をしていることぐらいだろうか。
 とまぁこんな風にメモすると、パンツ一枚で診察イスに座っていることぐらいやりかねない、開けっぴろげな医者だと思われるかもしれないが、実は一つ、極秘のことがある。


 月に一度、お上から極秘文書がくるのだ。B4でおよそ30枚からなるその資料の一枚目には、「極秘」と書かれている。
なんの資料かは、極秘だからいえない。極秘のものに触れることができるというのは、ある意味とても楽しいものだ。だれにでも経験があるだろう。「いってはだめだよ」といわれるほど、いいたくなるものだ。だから、内容をここで紹介したくて仕方ないのだが、やはり極秘だからいえない。
 その資料を委員と称する極秘メンバーと、しかるべき案内がしてある極秘の場所に集まって討論する。
 その会議が昨夜行われた。だいたい4人か5人集まって、ひそひそ話をする。そうした集まりが、通常5,6カ所で行われる。ときに部屋が隣り合うこともあり、昨日がそうだった。
 で、アホ犬に普段のクソの量を半分にするようにお願いして、早めに出かけた。
すでに部屋のテーブルには二人が着席していて、なにやら頭を寄せて話している。会議の前のウォーミングアップといったところだろうか。会議はある時刻から一斉に始まるため、薄い壁でしきられた隣の部屋からも会議の前の緊張感が伝わってくる。
 ところで人が集まるところは、”長”たるものがいるものだ。うちのクリニックの場合は、特殊なケースだ。なぜ院長なのか自分でも分からない。たとえば一人でがんばっているタバコ屋のおやじには、”屋長”とかの呼称があってもいいのだが、それがないのに、同じように一人で奮闘している院長だけ”院長”というのは、どう考えても不平等だ。
 それはさておき、その会議室には委員長はまだ来ていなかった。で、二人のメンバーに軽く会釈して着席した。
 二人も秘密会のメンバーらしい小さな会釈を返してくる。
 どんな会議でもそうだが、長いものには巻かれることにしている。この人生の戦術で間違ったことはない。困ったことは、クリニックの会議では巻かれるものがないことぐらいだ。もっとも主な会議は、犬の昼飯を何時にするかぐらいなものだから、よく考えるとなにも困らない。
 ということで、委員長を待っていたのだが、なんとなく先にいた二人の様子がおかしい。やがてこの院長に対し、誰かの代理かと聞いてくるではないか。
 とんでもない。ちゃんとした極秘メンバーだ。なんのために、アホ犬に頭を下げてきたと思ってるんだ。そう反論したかったけど、よく見るとなんとなく初めて見るような顔だ。
 そのあとすぐ委員長が入ってくると、所属する会の委員長の顔じゃない。
 ようするに隣りの部屋と間違ってしまったようなのね。
 いつも長いものに巻かれているから、委員長だけ気にしてて、ほかのメンバーへは、意識をくるくる巻きにしてしまっていて、ほとんで知らないでいたわけ。2,3人のことなんだけどそれも覚えきれず、かつ半年近くも秘密会に行っててもこの有様。
 すぐに顔を赤くして隣りの部屋に移ったけど、あの二人は、どう思ったのだろう。間抜けなやつと思っただろうか。それともあわて者と解釈しただろうか。
 いずれにしても極秘だから、この失態はそとにもれることはないだろう。
 ただ心配なのは、極秘のものに触れることができるというのは、ある意味とても楽しいものだということだ。

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