数える

ある本に次のようなくだりがあった。
ひとは「1兆と10億の違いを100万と10億の間の違いと同じように感じてしまう」「どちらも1000倍だからだ」

もちろん1兆と10億の間の数の方が100万と10億より大きいわけだが、これを読んで昔々のことを思い出した。

年は4つぐらいのころだったと思う。何人かの年上のいとこたちから数を1から数えさせられたのだ。
幼い院長は声を大きくして数え始める。
「1,2,3,4,5,6,7,8,9,10」そこまで数えるとお姉さん従妹やお兄さん従兄たちはこう尋ねたのだ。「次は?」
幼い院長は「100」というと、その場に笑い声が立ち込める。
こちらはなぜそれがおかしいか分からないまま、なんどか同じことを繰り返された記憶だ。

幼い頭のなかで漠然と、10から100に移るその過程と、1が10になるひとつの側面、つまり10倍になる過程が一緒のような気がしたのではないかと思う。

でも不思議なのは、とてもとても遠い昔のことなのになぜ覚えているのか、ということだ。
恥ずかしかったのか、笑いの中心になったことがうれしかったのか、はたまた悔しかったのか、とにかく”数えきれない”思いがそこに錯綜していたのだろう。