最近もうじき三歳になろうとしている双子らの、あまりの能力のすごさに驚いている。
アンパンマンの歌を半分ぐらい歌えるは、ドキンちゃんのマネをして突然、「いまぁきゃらたたくまぁーす」-どうやら「今から叩きまーす」といっているらしい-と、そばにある物を手にしては人の前で上下に振り回したり、バイキンマンのマネをして脈絡もなく-例えばごはんを食べているとき-突然立ち上がってはなにやらいいながら両手で自分らのお尻を叩きはじめるのだ。それも二人そろってとなると、ついついこう考えてしまう。


子供たちの能力のベクトルは下を向いてないか? かりに上を向いていても、その方向は違ってるんじゃないか?
そういうわけで、今日少しでもチエのつきそうな本を物色しに一家そろって街の大きな本屋に足を運んだ。
せっかく財布を軽くしてまで本を仕入れたのだから、できるかぎりでいいから利口になるのだぞ、メシ食っている最中にケツなんか叩いたりしたら、それは恩を仇で返すようなものだぞ、そう心のなかでひとりごちながら帰りのエレベータを待つ。やがて到着を知らせるランプが点滅し、ドアが開くと客が数人降りてきた。最後に中年のご婦人が、半身にして体をエレベーターから出している。どうやら手を伸ばしエレベーター内のボタンに指を掛けているようで、こちらが乗り込むのを待ってくれているようなのだ。
乗り込む客はわが家のメンバーだけで、双子に気をつかってくれてのことだろう。感謝しながら双子らをエレベータに乗せようとしたのだが、突然ドアが閉まり始める。ご婦人はボタンを押しているのとは違う片方の手でそれを遮ってくれるのだが、一瞬ドアは開くもののすぐに閉まろうとする。まるでドアが痙攣したかようだ。
それでもご婦人のおかげで全員、無事乗り込むことができた。まだボタンを押さえてくれているご婦人に感謝の弁をつげたのはいいのだが、ふとみると彼女が押さえていたのは”閉まる”のボタン。半身だったから彼女自身どちらか分からなかったのだろう。
つい、「ボタンが違いますよ」という言葉が口をついて出てしまった。最初なんのことか分からなかったようでご婦人はきょとんとした顔をされていたが、すぐに気づき、「違ってました?」と返事をされる。
日頃の診察で風邪を診断したときのように、偉そうな態度でこう応対する、「ええ、”閉まる”を押してます」
閉まるドアの向こう側のご婦人の顔はそれでも笑顔だった。
ああ、バカだった。この親にしてこの子ありだ。
そんな間違いがなんだ。あーだ、こーだいう前に押さえ続けていてくれた行為自体に心から感謝すべきだった。
子供たちよ、せっかくの機会だからひとつ覚えておいてくれ。
こういうのを、恩をあーだ、こーだで返すというのだ。

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