土日に30名近くの近隣の医療者と旅行に行ってきた。いわゆる医師会旅行だ。向かうは鹿児島。九州新幹線の開通のおかげで福岡からの所要時間は1時間30分と少しで、ほとんど日帰り感覚の旅行だ。とはいえ午前の診療を終えてからの行程だから土曜日はほぼアルコールと黒豚を胃に注ぎ込む懇親会だけで終了した。
こうしたアルコールを嗜むことが許される泊まりの団体旅行では、通常個人的には初日から大量のアルコールで意識を失うことがほとんどで、翌日はなにを反省していいのかとまどうほどに、身を小さくして残りの旅程を遣り過ごすのが通例なのだが、どういうわけか今回は最後までなんとか正気を保つことができ、名実ともに己を知る年齢に達したのだなと心密かに喜んでいた。


だが翌日がいけなかった。不覚にも涙を流してしまったのだ。
場所は知覧特攻平和会館、戦争、それも特攻というかなり特殊な状況で10代から20代の若者たちの命があまりに理不尽にむしり取られる様がさまざまな資料をもって展示されているところだ。もちろん文字や映像で特攻隊についてのそこそこの知識は持っていた。知っていたつもりだが、死に向かう彼らがしたためた文字を実際に目で追うと、気持ちがコントロールできなくなってしまい、大粒の涙が止めどもなく溢れてしまった。
あわてて被っていたハンチング帽のヒサシを前に深く押し下げた。館内の訪問客にその姿を隠そうとしたのだが、耳をそばだてると通りすがる人たちからもすすり泣く声が聞こえている。
そうだ、そうなんだよね。よく考えると涙することはなんでもないんだよね。
むしろそうした当たり前の感情を押さえようとすること自体が、特攻という異常な行為を肯定する土壌を育んだのかもしれないな、という気持ちになった。
涙することは恥でもなんでもない。家族ーとりわけ散ってしまおうとする若い男の子にあっては母親だーや愛する人と永遠の別れを強いられることになぜ涙してはいけないのか。大いに泣き、泣いて泣いて、それがひとつの泣き声にならなかったからこそ、あんな馬鹿げたことが起こったのだ、そう気持ちを切り替えた。
だけど、旅から帰ってもなんだかしっくりしない。だからなにか心のなかに探り当てるものがないかと、こうしてメモしているのだが、その理由が分かったような気がする。
知覧特攻平和会館に行くのは今回が初めてのことだったのだが、実は私は高校の3年間、鹿児島で生活していたのだ。知覧に行くバスの中から、すっかり変わってしまった街並みのなかにその母校のありかを確かめようとしていた。その場所から、ほんの数十分したところに知覧の街はあったのだ。
そんな近い場所にいながら、そして知覧の名前もしっていながら、それが現実のものとして私のなかにはなかった。この事実こそ恥以外のなにものでもない。

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