待ち受け画面

 昨日のこと。街の公共の場の席で高校生の女の子の横に座る機会がありまして。その子、華奢な体つきでメガネをかけ、いかにも図書館通いをしているようなカンジだったんだけど、ふと手にしていた携帯を見ると待ち受け画面は、あの王監督。
 別にどんな待ち受け画面でもいいんだけど、なんとなくアントニオ猪木の携帯画面にモー娘。の絵があるときにきっと感じるだろうミスマッチ感の逆バージョンのような気がして。


 でも、よーく考えるとこれって外見で人の精神構造を判断してるってことなんだろうなぁ。ひ弱な身体の人がスポーツへのあこがれを抱いても、まったくおかしくないわけでして。
「健全なる精神は、健全なる身体に宿る」なんて教えられてきたのにも、ごくごく一部かもしんないけど、原因があるかも。
 そもそもあれって、「健全なる精神と健全なる身体」の間違いなんでしょ?実際、医療に関わっていて、健康な人よりよっぽど健康そうな精神状態の人ってたくさんいるしなぁ。
 だからあのときあの高校生に抱いた違和感は、ちょっとした偏見にもなるのかもね。ごめんなさいね。
 でもね、さらによーく考えると「健全なる」とかの冠自体がなんかいかがわしいような気もしてくる。精神にしろ肉体にしろ、病気の人もいればそうでない人もいるわけだし。
 なんだか難しいメモになっちゃったけど、健全であろうがなかろうが、ユーモア精神だけは忘れずにいようと思ったわけで。
 でね、ボクも、「ほら、これがマッチ受ける待ち受け画面」なんてモー娘。の小学生の子の写真でも出してたりして。
 って、やっぱこれじゃ不健全だよなぁ。(さすがにその子らの名前をしらない自分でひと安心)

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