囲碁

最近腰が悪くランニングをやめウォーキングに徹している。今日も近くの公園を歩いていたら、走っていたら気づかなかっただろうことに、気づいた。
いくつかある石のベンチに将棋盤か碁盤が繊細に掘って形作ってあったのだ。憩いの場としてボードゲームでもして欲しいという設計者の意向だろう。

将棋も囲碁も下手ながら、そこそここなせる身としては、少し気になり、二つのゲームの本質的な違いとはなんだろう、と歩きながら考えた。
家に帰ってからもこの問題についてネットサーフィンしたが、決定的な意見は見つからない。

ここでルールを説明するつもりはないが、ただ囲碁では”生きる、死ぬ”という言葉がやたら登場する。登場しなければ囲碁ではないというほど、重要なワードなのだ。

そして死ぬことは負けを意味せず、生きるだけでは勝ちにならない、という一種の哲学的評価をしながら囲碁のゲームは進行するのだ。

どう死にどう生きるかを問いながらのゲーム。囲碁が好きな理由は、そういうことかもしれない。