吾唯知足

 連休を利用して中国地方のある都市へ観光に行った。そこの、ある有名なお寺でのメモ。
 薬師観音を祀ってあり、健康を祈願するお寺なんだけど、ほかにもいろんな願掛けグッズが狭い境内のあちらこちらに置いてある。たとえばうまく回すと祈願が成就する、天井からぶら下がる大きな数珠を通した紐とか、これも回すと祈願がかなう経典を刻んだ石とか。
 そんなグッズの前には必ずお賽銭箱が。


 きっと商魂たくましいアイデア和尚がいたんだろう。どうせなら、願がかなわなかったときのために、保険でも売りつけたらよかったのに。ネーミングは”がん保険”ね。
 まぁそれはそれとして、境内に、五円玉の真ん中を四角にしたような、四文字が刻んだ大きな石が置いてあった。お手水らしくそばの竹筒から水が四角のなかに、ちょろちょろと流れ落ちている。そのなかにはお金が放ってあり、賽銭箱のよう。
 で、真ん中の四角を「口」の字として見ると、四つの文字が「吾」「唯」「知」「足」となる。そういえば、そんなのがあったなぁと、学生のころの記憶をたどる。
「われ、ただ足るを知る」と読むんだった、確か。でも、その意味はなんだっけと、しばらく考えても浮かんでこない。
 まぁ、それにしてもうまいこと作ってあると、ちょっぴり感心しながら、その場を去ったのね。
 で、意味をネットで調べると、「物とかお金とか名誉とか世間一般の欲望をみたす基準は、それぞれができるだけ低いところに置き、その反面学ぶことに対する欲求は高く大きくもつべきである」ってなことらしく、お釈迦さんの言葉みたい。
 でもね、この言葉、そこの和尚にはなんとなく似合わないような気がして。しかも、この石のアイデア、どうも京都のお寺から拝借してるようなのね。
 そう知ると、ますます和尚の姿がただの俗人に思えてきてしまって。
 身元が割れたら、ただの人。
 つまりこのお寺の場合は、「われたら、ただを知る」ってことなのね。

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