名刺

今日、入院している身内の見舞いにほかの病院へ足を運んだ。初めての見舞いだったが、容態がやや悪く主治医に直接面接し話を聞くことがあるやもしれないと心する。
これでも医者の端くれだ。少しは込み入った内容に触れることができるだろう。だがそのためにはこちらが医者であことを告げないといけない。
診療が終わったあとなので白衣のまま訪問してもいいのだが、パン屋さんが売れ残りをさばきに来たと思われても困る。かといってジーンズでよれよれのカーディガンを羽織った普段着では医者だと信用してもらえないだろう。
ああ、名刺だ。名刺があれば同業者だと理解してもらえる。そう思った直後、肝心の名刺がないことに気づいた。


実は開業したてのとき、小洒落た名刺を作ったことがある。
名刺を横に使ったもので中央に自由闊達な筆遣いの黒文字で院長の名前が大きく描かれ、その左の肩に小さく朱でクリニックの名があった。院長の名前の最後にはこれも小さく朱で落款が押されている。落款は書の大家である市内の住職のもので、従って院長の名前もその住職が書いてくれたものだった。そしてほかにはなにも書かれていなかった。
実物は見たことはないが、大物政治家の名前だけが書かれている名刺、そんな名刺を意識していたのだ。今は開業したてで市内でも知られてはいないだろうが、見てろ、名刺だけで、「あ、あの名高いお医者さまですか」そう呼ばれる田舎医者になるぞ、そんな気概を持った名刺だったのだ。
だが開業してからというもの名刺を差し出す機会などほとんどなかった。開業とはその場で根付く樹木みたいなもので、タンポポのようにどこかに飛んでいっては、挨拶をする必要がないのだ。せめて学会にでも顔を出し新しいコネクションでも作ろうとすれば名刺を出す機会も増えたのだろうが日々の苦しい経営のなかでそんな余裕もあるはずもなく、結局作った数百枚の名刺のほとんどはコネクション作りに励んだ夜の街に消えたのだった。
そして残ったのは細く今にも折れそうな樹木だけ。
タクシーの酔客と化した院長が会話のなかで試しにクリニックの名前をさりげなく出しても、「えーと、どこのクリニックでしたっけ」と対応するタクシーの運転手の後頭部めがけて思い切り名刺を飛ばしたくても、悔しいことにその名刺がないのであった。

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