バイシクル

bicycle
 自転車に乗れたときの感動を今でも覚えている。小学生のときだった。
 自転車に乗れる人は誰でもそうだろう。最初は補助輪をつけて練習するものだ。
 倒れそうになっても後輪につけられた飛行機の尾翼のような補助輪が地面に接触して支えてれる。慣れてくると、補助輪の地面に着く回数が少なくなっていく。やがて補助輪は単なるお飾りでしかなくなる。自転車の走行中、一度も地面に接触しなくなるのだ。
 さぁ補助輪を外すときがきた。でもこれで自転車に乗れるようになったかというとそうではない。不思議なことに補助輪は自転車だけでなく、心の支えにもなっていたのだ。その支えをなくした少年院長は、本来の姿の自転車に乗ることに限りない不安を感じ始める。


 でもその不安を取り除いてくれる人たちがいる。しっかり後部座席を支えてくれる人たちだ。それは親兄弟であり、友だ。少年院長は近所の親しいお兄さんから支えてもらった。なぜかどこかに鈴の飾りをしている人だった。彼の支えの力が足りず、ときに倒れ膝をすりむくことがある。それでも、心はしっかりと結びついたままだ。
 やがて支えている手が離されていることに気づかないまま、自転車は独力で進み始めるのだ。
 写真は新しく開発された三輪車だ。今回台北で行われた第9回国際自転車デザインコンクールで一等賞を取っている。普通の三輪車とは違うのは、速度がつくと後輪の二輪が徐々に一輪になっていく点だ。
 つまり知らず知らずのうちに、自転車に乗れるようになれるというすぐれものだ。
 きっとこれで一人で乗れるようになったガキは、友だちに自慢するだろう。もちろんこうした新製品を手にすることのできるガキは金持ちの子供に違いない。
 ガキの友達は平素あめ玉で懐柔されている。だからそのガキの前ではあからさまな感情を出しはしないが、いつも鼻持ちならない態度には辟易している。そして仲のいい振りをしながら、そのガキの悪口をほかの仲間にチクってるのだ。
 今回は、自転車か。そう友は思う。この軟弱野郎め。倒れるのがそんなに怖いのか。そんなに人を信頼できないのか。鈴の音を信じたオレを少しは見習え。
 人としての有り様に漠然とした憤りを感じた友は、いつにも増して、また仲間にチクるのだ。
 以上遠い遠い昔の思い出を交えながら、倍チクルのメモをしてみた。

ネタ元
New Design Could Transform 1st Bike Ride 30 April 2005

“バイシクル” への3件の返信

  1. 王様は自転車の練習をしたことがない。
    小学校のころ、友達の家に遊びに行って、その友達の家の自転車にまたがったら、もう乗れていた。(あまりうれしかったら、無茶して、その日のうちに自動車にぶつかったけど。)

  2. 私の友達は 昔 友達が買ってもらった自転車を借りて遊んでた時に コロンで その時 犬の うん○にハンドル部分を押しつけて 帰ったんだって~。
    あまりにも 新しい自転車を自慢されて 悔しかったんだそうです。
    すばらしい友達デス(U_U;)

  3. うちの娘は 中学に入るとき と~ても 高い自転車を 買ってあげたのに ヘルメットをかぶるのが嫌で たった一回しかのらなかったっス。でも、息子が 四月から その自転車に乗って 中学に行ってくれてるので 良かったナリ

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