バイク

 スイムから上がると、業界ではバイクと呼び慣わす自転車競技に移る。当然早くスイムを終わったものから出ていくわけで、スイムが遅いだけあって毎回上がってきたときには、数台のバイクしか残ってない。いつもそういう状況を見てめげそうになる。


 トライアスロンなどの耐久競技を解説するとき「自分との戦いだ」という言葉をよく耳にする。だから別に順位は気にすることはないというわけだ。
 でもそういう考えには賛成しかねる。
 たとえば、たくさんもらったお中元のビールの残りがあと3本になったとしよう。むなしい、くやしい、つらい、そうした思いを抱く人が、九州地方には少なくとも一人はいるはず。しかしその原因は自分にあるのだ。自分がビールの誘惑との戦いに負けたから、そうした状況が生まれ、そしてめげるのだ。
 だからいつも少ないバイクを見て、来年こそは、との思いを強くする。するんだけど、毎年スイムが終わった時点でそのことを思い出しているから練習が間に合わない。
 今回はとりわけ遅く、途中、公式の審判員に尋ねると、うしろから数えて20番目ということだった。
 こういうときは気分を切り替える必要がある。ビールはまだ3本もあるんだと。
 で折り返しの休憩所で、あとから追いついてきた知らないおばちゃんから声をかけられた。なんでも昨年の最終ランナーだったらしく、自分の近くにいるとゴールがやばいかもよと、陽気に笑う。
 なるほど時計を見ると、決して余裕のある進み方ではない。
 それではと、さっそくおばちゃんに、今からマークすることを宣言した。休憩所を出た後、もう一度時計を見る。少しでも手を抜くと制限時間に間に合わないかも知れないという不安がよぎる。
 でもおばちゃんから抜かれさえしなければ大丈夫。そう自分に言い聞かせながらペダルを踏み続ける。
 なんどもいう。いくらケツに近くても順位は順位だ。決してトライアスロンは自分との戦いなんかじゃない。
 トライアスロンは、おばちゃんとの戦いなのだ。

(ランに続く)

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