スイム

 先週の日曜に鳥取県の米子市で行われたトライアスロンに参加してきた。このレースに出るのは10回目。HPのしかるべきところにその報告をしておこうと考えたんだけど、今回のレースを少し科学的に見直してみるのもいいかと思い、ここにメモしてみようかと。
 まず水泳。だいたいなんで陸上生物であるヒトが水のなかで競うようなことをしなくてはいけないのか。じゃあ宇宙に足を延ばすようになった人類は、そのうち宇宙遊泳を競うとでもいうのか。そうなったら背泳は仰向けになって泳いでいるかどうか区別がつかないじゃないか。
 とまぁ、いつか科学界を揺るがすかも知れない疑問を抱きつつ、いつものことながらいやいやながら海へ。


 で、数百メートル泳いだところで気付いた。波が高いのだ。2,3mはあっただろうか、院長の志のように高い。そして、スイマーの上に正面からかぶさってくる。そこでふと頭をよぎったのがリタイアの四文字。
 実はン十年、トライアスロンやってて、いままでスイムでリタイアしたことが一回だけある。短い距離のレースで、狭い漁港のなかを泳いでいたときのこと。
 そもそもトライアスロンの水泳というのは、スタートのときは押し合いへし合いの状態になるのね。で、ときには足や手で、隣の人をそっと押しやることも。こちらは、そっとしてるつもりでも、どうもそうではないらしく、お隣さんからの返事は頭あたりにくるゲンコ。 こちらもそれじゃと力をこめて蹴り返す。こうした健全なスポーツ精神を確認しあいながら、一団は沖へと進んでいくわけ。
そうした集団もやがて沖に出ればばらけ、お隣さんとのやり取りも少なくなっていく。
 でも漁港の場合は四角いなかをグルグルと回るだけだったので、いつまでも健全な精神を発揮し続けなくてはならず、かつ海水も院長の心のようにドロっとして汚かったので、もうおもしろくもない。というわけで、やめてしまったのね。
 今回の海はレースはちょっと違う。ヘタすりゃ溺れる。このままでは海のモクズになってしまう。人生ではもうクズになってしまってるから、もうクズのモクズになってしまう。そう、直感したのでしばらく立ち泳ぎをして状況を判断することに。
 周りでは選手たちが懸命に波に立ち向かっている。それを見てると、ふとひらめいた。
 コースは直線を折り返すもの。だとすれば、行きはきつくても、帰りは波が押してくれて楽じゃないのか。そう気付くと、また闘志が湧いてきて泳ぎだした。
 でもね、結局帰りは背中からドバっと波がのし掛かってくるだけで、速くもならなければ、楽でもない。
ようするに波ってのは、サーフィンのように波の頂点に乗り続けないと、上下するだけで前に進まないのよね。
 まるで人生を思わせる波の摂理にもてあそばれながら、ようやくスイムゴールにたどりついたのは、いつもより30分近く遅れてのことだったわけで。

(バイクに続く)

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