「夜が明ける」

西加奈子さんの本を読むのは2冊目だ。なんの予備知識もなく、異様な表紙の絵に引かれたのか、平積みしてあった本を手にした。
「円卓」に出てくる眼帯にあこがれる小学生の女の子が登場するなどのコミカルな話ではない。
貧困、虐待、性的マイノリティや障碍者など社会的弱者の問題を扱ったものだ。

ストーリとしては面白かったのだが、少し違和感を抱いた点がある。
語りの人称もそうなのだだが、もっとも大きな個所は主人公に語らせたこの言葉だ。

「この夜は、本当に明けるのだろうか。苛烈に深く、暗い、この夜は」

最後の最後に出てくる文章なのだが、ふと童話に出てくる「めでたしめでたし」を思い浮かべた。
小説の作法から見た、ことの是々非々は分からないが、小説としてはあまりに第三者的視点からの言い様になっていないだろうか。

きっとそれまでの絶望的な記述のあまりに、西加奈子さんは主人公にそう語らせる以外、校了できなかったのではないかと邪推する。
そういう意味ではこれは小説の体をなしたルポルタージュなのかもしれない。

もっとも昨今の世界情勢を見るとなんらの違和感もない。本当に悲しいことだが、西加奈子さんの否定的な疑問はあまりにもっとも過ぎてしまうのだ。