10年後

10年後のことを考えられる人がうらやましい。10年後、自分のおなかが今より大きくなっているのか、それともズボンが小さくなっているのか、あるいは頭髪が今より少なくなっているのか、それとも頭皮の割合が増えているのか、あるいは記憶力が衰えているのか、それとも忘却力が増大しているのか、想像ができないのだ。


でも考えなければいけなくなった。というのは今住んでいる街が市制50周年記念事業として「タイムカプセル」を募集しているからだ。それを知ったカミさんが役所から持ってきた葉書大の大きなカードの上端には「メッセージ(10年後の自分や、大切な人への想いなど…)」と書かれている。10年間保存してくれたのち、それぞれの住所に送り返してくれるのだろう。自分のはすでに書いたらしく、「締め切りは明後日まで」といって目の前にカードを置かれたのは昨日。拒否すると10年どころか、明日のわが身の存在さえあやふやになるものとしては考えざるを得ないのだが思いつかない。
書くの、やめようかなとカミさんに切り出すも説得される。確かに10年後の自分へ宛てたメッセージなんて、書く機会など今から先ないかもしれない。
とはいえ思いつかない。だいたい明日の自分に宛てたメッセージすら書けないだろう。「昨日のビールはおいしかったかい?」ぐらいが関の山だ。そんなこんなで頭を抱えていると、ふとアンジェラさんの「手紙」を思い出す。
「今、負けそうで泣けそうで、消えてしまいそうな僕は誰の言葉を信じて歩けばいいの」
「今、負けないで泣かないで、消えてしまいそうなときは自分の声を信じて歩けばいいの」
以前、最初にこの曲を聴いたとき狭心症になったかと思ったが、胸の痛みはきっとこの歌詞の部分に感銘したからだと思う。
よしよし、これを使わせてもらおう。
「今、カミさんに負けそうで泣けそうで、消えてしまいそうな僕は誰の言葉を信じて歩けばいいの」
「今、負けないで泣かないで、消えてしまいそうなときはカミさんの声を信じて歩けばいいの」
10年後、メタボのハゲオヤジが認知症一歩手前で泣いている姿が目に浮かぶぞ、ってなわけないな。

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