今日は「時の記念日」だということなので、思い出したこと。
中学のころ読んだ何かの本で、大物は時計を身につけないなんて文章があったわけね。ふむふむ確かにヤクザの大親分とかはしてなさそうだし、社長とか会長さんとかは、秘書が時間管理をしているだろうからこれまた必要なさそうだなぁと少年院長は納得。
さらにあとで読んだ三島由紀夫の「潮騒」のなかでも、「大物は遅れてくるものだ」なんてセリフに出くわしてしまって。
で、純真な少年院長はそのまんま受け入れてしまうわけ。人物は時間に束縛されちゃいけないのねって。
それでも、中学のころは毎朝ギリギリで教室に飛び込んでいたけど、高校になると段々遅刻の回数が増え、三年にもなるとほとんど毎朝第二時限目から登校するようになってた。
同じクラスには当時午後から出てくるという強者がいたんだけど-結局数ヶ月後に肝炎だと分かり、きつくて登校できなかったって事情-そいつが会長出勤、ボクが社長出勤なんて周りからいわれて、そうかこんな風にえらくなっていくのだな、なんて少年院長は感慨深くまわりの評価を受け入れてしまって。
そのまま大学生活でも少年院長に輪を掛けてを、ますます学生院長はえらくなっていったのね。いつのまにか一日の時間だけでなく、1年なんて時間も関係なく勝手きままに過ごしてしまって。
でもね、当たり前だけどこれって全くの勘違い。たんなる時間にルーズなアホな人間に育ってしまっただけでして。おかげでいまでは未来永劫、時計に縛り付けられる生活を強いられるという始末。
たしかに学生のころは時計には縛られはしなかったけどね。
ボクにとっては「いっときの記念日」だったのね。