日常

旅に出るひとつの理由は、非日常に出会える期待があるのだろう。
非日常は人によってことなる。気ぜわしい時のなかに生活する人はゆったりとした時間の流れにそれを求めるかもしれず、その逆もまたありえる。

だからといって、自分の日常がどういうものかを具体的に語るのは、難しいかもしれない。

南の島で経験した牛車もそうだった。御者でもある案内人のお兄さんによって紹介された水牛のカイジは自分のペースで止まっては進み、進んでは止まり、彼の日常を全うしている。
そして短い牛車の揺れの終わりに、お兄さんが三味線を手に歌を披露してくれた。これも彼の日常だ。

明らかにわたしの日々とは異なっている。だが、さて自分の日常はどんなものだったのか、と自問してみても答えに窮する。ただ答えられなくても、あれこれ考えるきっかけを与えてくれたのは確かだ。

今年、二人の子らは旅立ち、これから彼ら自身の日常を手にしていくことになる。ひとりは海外に、ひとりは東京に。

それまで培った家族の時間は、そして日常は、どうだったかいつか思い出したくなるときもあるかもしれない。でもわたしと同様、きっと答えを見つけられないだろう。

ただ何か少しでもそれにつながるものを思い浮かべられることがあれば、嬉しい限りだ。それを期待してメモに残しておきたい