今日、スポーツジムに行った帰り際のこと。出入り口のカウンターのとこで、スタッフとメンバーさんがなにやら話をしてる。そのメンバーさんのいうところでは、ジムの別のスタッフが、今開催中のオリンピック会場を映し出していたテレビ画面に出ていたという。
知ってる人に、思わぬところで出会うとなんとなくうれしくなる気持ちは、よく分かる。クリニックの待合いにも、その心理を利用した工夫がされている。院長が押し売り的に医師会に寄稿した文を載せた会報を、さりげなく置いているのだ。
患者が、なにげなく雑誌を開く。そこに見知った院長が出ている。ああ、どこにでもいる雑草みたいな先生だと思ってたけど、違うのね。ステキじゃない。と、好感度がアップする。その事実は口づてに広がり、やがて待合いは患者で溢れかえるはず。
だけど、こちらの戦略を知られているのか、待合いに置かれた会報は、患者にさりげなく無視され続けている。
それはさておき、そのギリシャ出没スタッフの話。
「ええ、行ってます」というジムのスタッフの話では、なんと、団体で金を取った体操のなかの一人と、そのギリシャ出没スタッフが従兄弟だという。
これは、明日にでも誰彼となく披露すべき情報だ。なんだったら薬の袋に、「金の選手と知り合い医師が処方する薬」とでも書いてもいい。いくらなんでもオリンピック開催中だ。今度は間違いなくエサに飛びついてくるだろう。ついでに薬の効果も倍増するような気がするし。
とまぁ、クリニックの最高機密の漏洩はここまでにして、思うのは、みなさん程度の差はあれ、同じような行動を取るんじゃなかろうか、ということ。”有名人”と会うとか、見かけるとかすると、なにかの機会に周囲の人に話すってこと、結構あるよね。
ましてや、その人と親戚の人がすぐ近くにいるわけだから、つい話したくなるよね。
でも、この行動の意味はなんだろう。もちろん親戚の方が語るのは納得できる。その行動は、意識するしないに限らず、”有名”であることの秀でた能力を、ひょっとしたら自分もあるのかもしれない、ということを主張していることになるんだろう。
それはいい。でも、全くの他人が有名人との関係を吹聴したくなるのは、なぜなんだろう。
スタッフ「院長がアホだからでしょ」
院長 「まじめに意味を考えてるのに」
スタッフ「失礼しました。一緒に考えます。意味は、意味は、意味は、っと」
院長 「怒るよ」
スタッフ「分かりました」
院長 「……」
スタッフ「院長、人のいいアホでしょ」
院長 「……」
スタッフ「だから、意味は、いい、ミーハー」
院長 「…そうかもね」
体操の選手は、富田さんです。