我が家の食卓にはときどき衣がついた牡蠣フライが出てくる。
スーパーの出来合いのものだが、購入者がカミさんともなれば、なにか不都合があってもそうそうに文句はいえない。
たとえば、どう考えても衣に包まれた牡蠣が小粒のときだ。
なんどか出てきたが、いくらなんでも小粒すぎるので、あるときカミさんに意を決して恐る恐る進言すると「分かった」とお代官さまから静かだが緊張に満ちた返事が返ってきた。
数カ月後、再び食卓に出てきた牡蠣フライは大粒のもので、牡蠣一揆首謀者としてはお咎めもなく意見が通ったことを心から安堵した。
だがまた数カ月後、出てきた牡蠣フライはまたまた小粒のものだったのだ。
こうしたことがなんどかあったので、一揆を繰り返した百姓たちの心を感じながら、事情をお伺いすると、事態がつかめてきた。
お代官さまはいくつかのスーパーで購入されている。そしてどこでも牡蠣フライは、大粒と表示されているものと、なにも書かれていないものに分かれているというのだ。
確かに正しく表示されているのだろう。
違う大きさのものを二つ並べたら、一方は必ず大きいからだ。
そもそも消費者の思いと行動パターンは次の3つに分かれる。
今日は普段よりたくさん食べたいな、と思うときは大きいものを選び、今日は普段よりそれほど食べなくてもいいか、と思うときは小さいものを選び、そしてなにも考ないときは、普通のものを選ぶ。
(とはいえカフェのドリンクと違い、通常、今日は小粒の牡蠣でいいかという客は少ないだろう)
つまりは普段通り食べたい人が、きっと一番多いはずだ。というか、そもそも大小を選択する必要がないから普通なのだ。
なんらかの理由ーおそらくそちらの方がもうけが多いという理由ーで多く売りたい方を普通にすれば、売る側としてはシメシメということになる。
きっとこの場合は小粒の方がそれに当たる。かつ院長のように「小さいじゃないか」というクレームには「なぜ大粒を買わなかったのか、このドケチ野郎」と切り返すことができるおまけがついている。
一揆のあとにはお代官さまは、大粒を選んでいたらしく、また太平の世になるといつの間にか普通のものに戻っていた、ということで首謀者のなかでは事は一件落着したのだが、なぜ大粒をキープしていただけなかったのだろう、という思いはいつまでも小粒の百姓の胸のなかに深く残ったままであった。