リファクタリング

ここ1,2ヶ月クリニックで使うプログラムのリファクタリングをしているのだが、その過程で人生における超重量級の重大事があることに気づいた。
その前にリファクタリングについて知らない人のために説明しておこう。英語でrefactoring と綴り、refactoring は日本語ではリファクタリングという。refactoringをフランス語で口にすると、ほとんどの日本人には聞き取りにくい発音となるはずで、でも安心して欲しい。それを英語で綴るとrefactoringとなり、これぐらいならきっと読めるはずだ。でもマサイ族の言葉では日本人には聞き取りにくい発音かどうか分からない。それでも英語表現を日本語で綴るとリファクタリングになる。
ということで、本人もよく分かっていないことがよく分かっていただけたと思う。


とはいってもここ数ヶ月でリファクタリングについての何冊かの本に目を通した。自身のプログラム能力に限界を感じ始めたからだ。とはいってももともと、幼稚園児が自分の体操能力に限界を感じるようなもので、その限界の度合いはたかがしれている。とはいっても幼稚園児ががんばって小学生になろうという姿勢は認めて欲しい。とはいってもやはりリファクタリングは説明できなので、ネットから引用するとこうなる。
「ソフトウェア開発では、ソースコードの作成が進むにつれて、中途での設計変更や誤りの訂正などでプログラムは冗長で汚いものとなっていくことが多い。これらの問題点を解決し、将来の仕様変更に柔軟に対応できるようソースコードの手直しを行うことを リファクタリング という」
ひもといた本のなかで、チームとしてプログラムを開発するときに、ひとつのコードの最大単位は40行と決めていることもあると書いてあった。
開業して20年以上になるクリニックのコードはずらずらと、場合によっては1000行以上にもなるものがあり、実際それを読み返して見ると、自分が作ったにも関わらず見たくもないという気になるってくる。こんなことでは我が子も同然のコードが不憫でならない。
ということでせっせと、できる箇所はモジュール化しついでにより高速処理ができるアルゴリズムに換えながらリファクタリングを敢行している。まだまだ道半ばだが、とてもすっきりとして環境になりつつあるのは間違いない。
でもつらつら考えてみるに、これは人生そのものではないか。年齢を重ねるにつけ中途での人生設計の変更や過ちなどで人生はごちゃごちゃになっていくことが多い。そこにある問題点を解決し、将来のためにの手直しを行うことはとても重要なことだろう。
そしてこの重大なことの重さに考えが及んだ。いったいこの行為の重みって、どれくらいなのだろう。そして、ふとひらめいたのだ。
それは1gでも1キロでもない。その重さは、整理整トンだな、って。

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