短歌や俳句に触れるとき、自分の感性のなさに驚くときがある。
中学校のときのことだ。石川啄木の有名な短歌、
たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず
を読んだとき、その意味を最初、
あまりの軽さに、おんぶしなくても自分で歩けるだろうと感激し、母を下ろした
と理解していた。おかしいでしょ?ばかでしょ?
同い年のいとこからの年賀にあった句を見て、今年も年初からそのおろかさを再確認することになった。
彼は高校生とのきに応募した太宰治賞で佳作に入ったほどの文学青年でその後、某新聞社の大都市地方局の編集長を経て、今は東京の新聞社関連文化施設の長をしている文化人だ。
いとこだから文句はいわれないと思うので、下に披露したが、さてさて、解釈には感性だけでなく文学的教養も必要のようだ。どちらとも持ち合わせていないから、ほとほと困っている。
マスクすや、もうこりごりの鼻、われにあり
これだったら作者の意図をほぼくみ取ることができるのだが。