「楽観主義は年とともにやってくる」という題の記事があった。ある実験で年齢によって他人の表情に対する集中度が異なるという結果が出たという。
悲しみ、怒り、不安、幸福を表情に出したバーチャルな顔をいろんな年齢層の被験者に見せる。そして特殊な機械で彼らの眼球の動きを追い、なにをどれくらい見ているかを調べたものだ。
18から21才の人では不安な表情の顔を一所懸命みつめていたが、57から84才の人たちは幸せな表情に焦点を当てており、かつ怒り顔を見るのを避けていたという。
被験者たちの認知力にはなにも問題はなく、なにがこういう結果を招いたのかいろいろ議論を招いている。
「年取るってことは残りの人生が少なくなるってことだよね。少ない人生では肯定的なものに焦点を当て、否定的なものは避けるというのが感情的な元気を保つのに重要なのよ」ってなことが研究者らの意見のようだ。
でも肯定的なものを受け入れ否定的なものを拒否するというのは、どの年齢でも当たり前のことではないのだろうか。むしろ若い連中が不安な表情に注目する方がどうしてなのだろうという疑問が湧く。
それはきっと生きることに対する不安をたくさん感じているからではないのだろうか。
青年院長もそうだった。人の学割を借用していろんなところに出入りしたものだ。そういったときの不安というのはとても大きいのだ。係員も若い連中にとくに目を光らせている。大人になって入館料をごまかそうなんていうのは院長ぐらいのものだ。係員にとってはガキの行動を中心に目で追っていればまず大丈夫。
ってなわけで、よくまとまらないまま、まず一題目のことわざ。
少年追いやすく、学割難し。
続いて二題目。昨日、銀行にお金を下ろしに行ったときのことだ。行き慣れた銀行なのでだいたい窓口の顔ぶれも分かっている。こちらも安心できるし、向こうもあやしげだが危害を及ぼさないおやじだと承知しているようだ。だが昨日は違った。4月ということもあり、きっとどこかの支店から移動してきたのだろう、見慣れぬ若い女性店員の顔が窓口にある。
窓口はいくつかあり、待っている客は順にマイクでそこに案内を受けるのだが、回ってきた窓口はその女性のところだった。
でいつものように手続きを踏んで再び待合いのイスで待っていると、彼女の様子がおかしい。こちらをチラチラ見ては、横の窓口の女性にひそひそ話しかけている。それだけではなく、なにやら笑いをこらえたように肩を小さく振るわせるのだ。それも一回や二回ではない。
たしかにこちらはこちらで不安な顔をしていたかもしれない。通帳が残り少なくなってないか、いつも銀行に来ると不安なのだ。若者が不安そうな顔に興味を抱くのもつい最近知ったし、それなりに彼女の行動には理由があるのかもしれない。
だからといってこちらを、将来は分からないが、銀行強盗のように見なくてもいいではないか。不審な点があればちゃんと窓口まで呼び出して聞けばいいではないか。
結局、横の窓口の女性が、サルと一緒だから目を合わせないようにと忠告してあげたのだろう、こちらを無視し始めた彼女の態度は正規の業務に戻ったようだ。
しばらくして窓口に呼び出されたのだが、こちらはなんとなく釈然としない。それで、さきほどの対応はなんなのかと聞いてみると、彼女顔を下に向けたまま応えないのだ。
そのままお金を窓口のトレイに入れてこちらに差し出すと、儀礼的なあいさつさえなく、また自分の仕事に戻ってしまった。
若いから理解できないこともたくさんあるだろう。だが人の質問にはちゃんと答えるべきだろ。場合によっては忠告してあげようと思っていたのに。そんな態度じゃ、これから先が思いやられるぞ。若い時分はあっという間に過ぎていくのだ。
そういうわけで、二題目はこうだ。
行員、嫌のごとし。
分かったか、このバカヤロー。
ネタ元
Optimism Comes with Age
院長のズボンのファスナー開いてたのよ きっと
その行員がもしそんな風に答えてたら、毅然とした態度で抗議したはずです。
「そんなことで話を誤魔ファスナー」