連休もあって夕方からテレビを見ながらビールを飲んだ。
ふと国営放送で流れていた中島みゆきの曲、「ヘッドライト、テールライト」に魅了され、そのあとYouTubeで数えきれないほど聴き入ってしまった。
最近、思うことがある。いやずっと以前からかもしれないが、人というのは虫と一緒ではないだろうか、いやそれ以下かもしれない。そう思うときにいつも思い浮かべるのがアリだ。
なぜ人は騙し合い、憎しみ合い、殺し合うのだろう。アリのほうがよほどましではないか。
遠い昔、人が幸せに平等に暮らしていける社会ができると信じ、自分の人生をその実現に向けてかけたことがことがある。
でも結局、人は生物としての人なのだ。いくら社会の生産性があがり、人が豊かに生活できる条件が揃っても、それは生物的な宿命を持った人が成し遂げることであり、そこには生物としての否定することのできない本能的な行動様式があるのだと思う。
「ヘッドライト、テールライト」の曲がいかにして作られたのか知らないが、きっと夕闇に続く長い車の列が彼女の頭のなかにあったのだと思う。
そうアリの行列のような。そしてただ黙々と己の任務を果たすアリの姿もあったかもしれない。
ただその情景に暗澹たる思いを馳せるのか、それともそれを是として希望を持って表現するのか。
「行き先を照らすのはまだ咲かぬ見果てぬ夢」
そう中島みゆきは謡う。
「行き先を照らしてもそこにあるのは絶望」、そんな考えなどこれっぽっちも存在しないかのような自信をもって。
希望など持たないだろう、そんなアリとはあなたは違うのよ、そう諭してくれた詩に、きっとなんども感涙したのだ。