「インドラネット」(桐野夏生 著)

桃から生まれた桃太郎が鬼ヶ島に行きました。そして、はい、どうなったでしょうか?
物語を知らなくても、これならなんとなく結末を想像できる。なんだったら違う終わり方のお話だってすぐに思い浮かべられるだろう。

「インドラネット(因陀羅網)は、仏教用語で帝釈天の宮殿を飾る網を意味します。その無数の結び目には宝珠があり、互いに映じ合うことから、一切のものが互いに障害とならずに関連しあうことにたとえられます」(Search Labs | AI による概要)

そんな「インドラネット」と題されたこの本は違った。
誰しもが抱くインターネットとインドラネットの言葉の響きの類似性は偶然ではなく、作者はそれを意識して書き上げたのだと思う。

ネットワークのなかにノッドがあり、それに影響が受ける人がいて、それとはまた別のノッドとその周りのネットがあり、またそれぞれがどこかで繋がっていて、つまりは人と人はつながっている。それも良し悪しに関わらず関係性を持っているのだ。

もちろんどんな小説も人との関係を描いているわけだが、ここでは偶然性というものを極力排除した形で描かれている。

そしてノッドは大きくなったり小さくなったり、あるいは消滅する。
だからそこから生まれる結末は、鬼さんたちは降参しました、などといった、そんな単純なものではないのだ。

そんな印象を持った小説だった。

ただ若いころ、「水の眠り 灰の夢」「顔に降りかかる雨」「OUT」などを読んだときほどの感銘を受けなかったのは、院長の脳神経ネットワークのノッドが少し薄くなったせいかもしれない。