GOD

カールセーガンの、確か「コンタクト」だったと記憶するが、次のような意味の文言があった。
神がいるならなぜ月に”私はいる”と書かないのか、と。つまり、その存在を訴えるために、ちまちました奇跡をわずかな人に見せるより、衆目を集めるはずの月への”広告”をなぜしないのか、ということだ。
きわめて理にかなった主張だと思う。だが、彼も間違えることはあるようだ。そのメッセージは月ではなくなんと亀にあったのだ。

でもここに記した神は、いったいどういうものなのだろうか、とふと思う。やはりその存在を訴えるために、こうしたちまちました奇跡を見せるより、やはり月への”広告”の方が数百倍も効率がいいと思うのだが。

思うに、月に印を残す神と、亀にこうした印を残す神は、格が違うのではないか。
どれぐらいの違いかというと、えーと、月とスッポンぐらい?