虹彩識別

 今日のニュースで、”虹彩”での個人識別が実用化したと何回も流れていた。飛行場でのテロ対策への効果が十分期待できるとのことらしいが、今日のメモは、この虹彩識別というものについて。


 ネットで調べると、精度は左右の虹彩併せて10の78乗の識別が可能で、10の10乗足らずの世界人口に十分対応できるということらしい。原理は企業秘密となっているらしいのだが、この数値から推測できること。まず、一つの虹彩では10の39乗の認識が可能ということだな。ということは、10の要因を測っているなら、虹彩の39カ所で、9の要因だと41カ所…6要因で50カ所、5要因で55カ所、4要因で65カ所、3要因で81カ所、2要因で130カ所を計測していることになる、ふむふむ。もちろん11要因以上を計測している可能性もあるけど、ちと多すぎるような気もするし、やはり5要因55カ所から3要因81カ所あたりが妥当なとこじゃないだろうか。
 まぁ精度に関してはいろいろあるみたいだけど、個人がこんな小さなところの、おそらくそんなに多くない情報で識別されるというのは、いまさらながら不思議な気がする。
 もちろん指紋とか昔からあったわけだけど、あれなんかはボクとしては、たとえば泥棒が捕まったとき、「お前悪いことしただろう」とか刑事さんからいわれ、「すいません。子供が腹をすかせてたもんで」とかいいながら採られるような、いわば個人の人格の延長上にある個人識別のようなイメージがあったんだけど。
 個人の識別は、確かにいろんな場面で必要なんだろうけど、やっぱり虹彩とボクは違うよ、というのが率直な感想。
 マイノリティレポートって映画、ボクは見てないんだけど、あの中で管理社会の象徴として虹彩識別がでてたとスタッフがいってた。こういう識別法の一般社会への導入というのは、いいのか悪いのか、悩んでしまう。
 こうさい先に立たずってことわざもあるしなぁ。

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