自伝

リチャード・ドーキンスの自伝を読み終わった。読んでいて別に嫌みな印象を受けたわけではないが、聡明な子供がもっと聡明な大人になったという、利口的遺伝子の話とでもいえるのかもしれない。
アホな子供がますますアホな大人になったものとしては、なかなか理解できない箇所もあるが、ひとつとても気になるくだりがあった。
以下に引用するが、出てくるエリオットというのは当時彼が研究のために使用していたコンピュータとのことでオーコードとはそのコンピュータに用いるプログラミング言語のことだ。


「私とエリオットの蜜月が生産的だったとはいえない。プログラミングの技法において私がいくつかの貴重な熟練を体得したことは疑いない。しかしエリオットのオートコードは、他のどんなコンピューターにも使えるわけではなかったし、夜中のわたしのギークぶりは、熱心で勤勉ではあったが、それが本格的なプロブラミングにどうつながったかと言えば、オーンドル校の音楽室で私がピーピー楽器を鳴らしていたのが本物の音楽とは似ても似つかない行為だったのと変わらない」
なぜ気にかかったかというと、今クリニックで使っている医療請求と電子カルテのプログラムを公開しようかとここしばらく考え出していたからだ。
うちのような小さな診療所の事務的な処理は、実はおどろくほど簡単なものだ。大病院などと異なり大した医療内容をこなしているわけではなく、したがって診療の事務処理も単純なものだ。事実当院と同様規模の全国の診療所では数年前まではパソコンなど用いずに処理してきた。電子カルテも同じで通常の紙カルテのようにいろんな人が記載することはまずなく、せいぜい代理診察してくる数人の医師が書くのが関の山だ。それに見合うプログラムもそれほど複雑なものでなくても稼働させることができる。電子カルテやレセコンを作っているベンチャー企業さんには申し訳ないが、自分たちで十分やっていけることを、とくに小規模診療所の先生方に知ってもらいたいのだ。
とはいえ迷いがあった。そもそもスクリプトを公開するということは、自分の思考過程を人様に見せることだ。考えようによっては恥部を見せるよりも恥ずかしいことかもしれない。だがよく見つめ直すとやはり大したことのないモノをさらす方が恥ずかしいような気もする。いやいや待てよ、今まで進化の過程でこの個体が生き残ってきたということは、ご先祖様のモノが大したモノだったからではないか、それを引き継いでいるわがモノが大したことなどないわけがない、恥部を見せるより恥ずかしいことではないのではないかと、分かったようなそうでないような感じでなんとなく公開の方へ心のベクトルが傾き始めたときに、この文章に出会ったのだ。
本書によるとドーキンスさんはアセンブリングをしたり、自分用のプログラミング言語そのものを作ったりできるようで、そんな人から自己評価を「ピーピー楽器を鳴らしていたのが本物の音楽とは似ても似つかない行為だったのと変わらない」程度だったとされれば、そんなことなどできないわたしの立場はいったいどうなるのか。強いていえば赤子が辺りのものを叩きながらバブバブといいながら音楽に似た音を出しているような行為にでもなるのだろう。
でもいい、こんな代物でも実際に役に立っているのだ。だから公開するときは注意事項にこう書いておこうと思う。
「このプログラミング言語はナン語です」

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